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人生・農業リセット再出発

倒幕その後、設計図なしの明治維新!

明治維新から100年後の1968年、文部省が全国の高校生100人を選抜して米国へ留学させた。私は運よく熊本県代表として夢の渡米を果たした。今年、七夕の日に思い出の羽田空港で50周年記念の生存確認大会を開催したが、スペイン大使、国連大使など活躍中の者も多かった。
徳川幕府は300年も続いたが、維新政府は廃藩置県で270の大名を廃止して武士は失業、明治天皇中心の新国家に統合した。英国だけで世界の4分の1を占領し、フランス、ロシアやアメリカも清国の次は日本植民地化を狙っていた。人口は今より1億人も少ない3,480万人だった。薩長土肥が新国家を作るにはすぐに国家の青写真が必要であった。新政府トップが直接出向いて欧米政治の仕組みを勉強するのが手っ取り早いとの結論になる。公家の岩倉具視、長州の木戸孝允、薩摩の大久保利通、英国留学を経験した長州の伊藤博文などで欧米視察団が結成された。なんと2年近くの長期海外視察だった。今の首相や大臣、省庁トップ107名が2年も日本を留守にしたらどうなるだろうか? もちろん留守番役はいた。西郷隆盛と三条実美(さねとみ)、大隈重信、板垣退助、井上馨、江藤新平が残った。
出発は維新3年後の1871年11月12日、横浜港からアメリカの船で23日かけてサンフランシスコへ向かった。

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