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新・農業経営者ルポ

農家民宿を文化と交流の発信源に


開業当時、照博はまだ退職前で役場勤めだった。農家の主婦が切り盛りできる範囲でやっているヨーロッパの農家民宿を参考に、禮子1人でできる範囲で経営するということで、宿泊人数は最大4組8人とした。

「ただいま」と言ってもらえる宿

宿の名前のコクリコは、フランス語で「ヒナゲシ」を指す。与謝野晶子の歌「ああ皐月(さつき) 仏蘭西(フランス)の野は 火の色す 君も雛罌粟(コクリコ) われも雛罌粟」から取った。先に渡仏した夫の鉄幹を追って列車でフランスに入り、火のように赤いヒナゲシが一面に咲き誇っているのを見て詠んだとされている。
「この歌を、与謝野晶子がヒナゲシの咲く野で、コクリコクリとうたたねをしている様子を詠んだと私たちは解釈しました。うたたねをしながらのんびり過ごせるようにと宿の名前にしました」(照博)
宿を開いてからも「常に学ぶ姿勢がないといけない」(照博)と勉強を欠かさない。2005年には2人でドイツを訪れ、農家民宿を泊まり歩いた。町のインフォメーションセンターでおかみさんの話の聞ける宿がないか尋ね、実際に寝起きして、どんなもてなしをしているのか見聞きした。また、照博は母校である愛媛大学でマーケティングを学んだ。
宿の利用者にはリピーターが多く、「ただいま」と言ってきてもらえるような宿にしたいと心がけている。それと同時に「来るたびに新しい発見と感動がないといけない」(照博)と工夫を凝らす。
訪問者との交流を象徴するのが、母屋の2階にあるギャラリースペースだ。ここには愛媛の特産を宿泊客に知ってもらおうと砥部焼を窯から取り寄せて展示しているほか、地元の人の描いた油絵や工芸作品などを飾っている。中には子供がクレヨンで描いた作品もあって「あの絵は今もう大学4年生になる女の子が小さいときに描いたものです」と照博が教えてくれた。澄んだ色使いの水彩画を見つけて「これは」と尋ねると、「ジブリの男鹿和雄さんが内子を訪れたときに案内をして、そのご縁で描いていただいたものです」という答えが返ってきた。
「妻が経営者で私は番頭ですから、町の話をするのが私の役割。そうやって24年間やってきました」(照博)
客層は親子連れからシニア世代、今では外国人も多い。誰が訪れてもゆったり過ごしてもらいつつ、地元の良さを伝えることを忘れない。二人三脚で切り盛りする宿は、開業からの四半世紀の中で蓄積した歴史を背負いつつ、新たな縁をつむぎだそうとしている。(文中敬称略)

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