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特集

ソーラーシェアリング 営農と太陽光発電を両立させる農業経営



Part3 営農を本気にさせたソーラー導入

齋藤 広幸さん 福島県川俣町 KTSE合同会社代表社員

福島原発事故をきっかけにして太陽光発電に興味を抱き、自ら課題をクリアーしながら導入を進めたソーラーシェアリング。サラリーマンを辞め家業を継いで、いま農業への夢を切り開こうとしている。

川俣町小神(こがみ)は福島県の中通り地方、福島市から15 kmほど東に入った山間部にあり、かつては養蚕が盛んで桑畑が広がる地域だった。現在は、水稲と野菜(ミニトマト・キュウリ等)が生産され、桑畑の跡地は遊休地になっている。
齋藤家は、親がキュウリなどの畑作と自家消費の稲作を営み、同居している齋藤さん本人は、自動車産業の会社で技術職を務めながら休日は農業を手伝うという兼業農家だった。現在は会社を辞めて自ら会社を立ち上げ、ソーラーシェアリングで稲作とコンニャク芋の生産に打ち込んでいる。

【逆境のなかで見出した発電事業という夢】

転機が訪れたのは、2011年の福島原発事故がきっかけだった。川俣町の一部の地域は帰宅困難区域に指定され、齋藤家は除外されたものの風評被害によって農作物が売れなくなった。齋藤さんは、社会情勢の変化もあいまって状況が変わり、仕事がつまらないと感じるようになっていた。
「当時、農業の先行きへの不安から、どうしようかと悩んでいました。これからの福島の農業はどうなっていくのか。インターネットで調べ出したとき、太陽光発電の記事を目にしました」
さらに発電事業の可能性を探って情報を集めはじめる。自分で資材を調達して発電所をつくったという宮城県の人を見つけ、さっそく見学に行ったところ、自分でもできそうだと感じた。
「自分で発電できるなら、ここ福島で、原発ではない安全な電力をつくっていけないだろうかという思いが沸いてきました。当時はまだ夢のようなことだと思っていました」
そのころ、福島県では再生エネルギーなどの講習会が開かれるようになっていた。ある講演会で、太陽光発電を実践している登壇者の話を聞いたとき、齋藤さんの胸は高鳴った。
「その瞬間、自分が描いていた姿を実践している人がいるんだとワクワクしました。実践している人がいるなら、自分もできると思いました。そのときの感動は忘れません」
勤務先に、太陽光発電は副業に当たらないと認めてもらい、発電事業にとりかかった。何もかもゼロからのスタートである。中国のパネルメーカーを調べるところから、設計のやりとり、資材の調達、通関の手続き、架台やパネルの施工まで、すべて自分で手掛け、初めての発電システムが完成した。

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