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新・農業経営者ルポ

ミカン産地の永続を願う 農業人としての農協経営

今回の主人公はミカンの一大産地、静岡県西部のJAみっかびの組合長である後藤善一だ。農業の経営者として大成した後、農協の経営に入ったその目に、この巨大組織はどう映っているのか。産地の展望とともに聞いた。文・写真/窪田新之助、写真提供/JAみっかび

なだらかな傾斜とかんがい設備が整った園地

静岡県浜松市の旧三ヶ日町にあるJAみっかびの本店に到着して総務課を訪ねると、すぐに組合長室へ案内された。多読家らしく、入口脇の書棚に本がぎっしりと詰まっている。農業と経営に関するものが多い。その部屋に足を踏み入れたら後藤は再会の挨拶もつかの間、「よかったらうちの農園に行って、まずは撮影してくれないかな。まだ雨も降っていないようだから」と話してきた。いつもながらの優しい気遣いに感謝しながら、後藤が運転する4WDで園地へ向かった。
三ヶ日町を訪ねるのはたしかこれで5回目になる。奥浜名湖を望むその風景でいつ来ても目を引くのは、園地の傾斜がどこもゆるやかであることだ。柑橘類の他産地からしたら、どうしたってうらやましくなる条件が整っている。
農園を訪れると、現在の経営者である息子の健太郎が仕事中だったため、親子で一緒に写真を撮らせてもらった。
「ほんと嫁と息子には感謝している。頭が上がらないよ」
車に戻って2人になったとき、後藤はこうつぶやいた。筆者は後藤とはとくにこの2年ほどは何回も会っており、これはそのたびに聞くセリフだった。その真意は後ほど説明する。
筆者が最初に農園を訪れて5年になる。この間に変わったのは経営面積が8haから10?haに増えたことだ。とはいえ、生産条件が良い三ヶ日町では農地市場は活発ではない。山を買い取って木々を伐採し、土地をならして園地にした。
4WDでさらに登っていくと、若木が植えてある区画があり、ここが買い求めた山だと気づく。木の根元を見ると、ドリップチューブをはわせている。その水源は1975年から89年にかけて施工されていった浜名湖北部用水になる。三ヶ日町では300年前からミカンの栽培が始まっていたが、天水や渓流水に依存していたため、生産が安定しなかった。用水ができたことで畑地かんがい設備を整え、収量と品質を向上させることができた。
それにしても山を切り開いてまでなぜいま増産するのか。言うまでもなく、ミカンを含めて果実の消費量は下がっている。1人当たりの年間購入数量はミカンの場合、80年に14.5kgだったものが2016年には3.5kgと、40年近い間で76%も落ち込んだ。近年は下げ止まった感があるものの、栽培面積はいまも減少傾向にある。その数字はさらに減っていくと後藤は見ている。

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