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新・農業経営者ルポ

ミカン産地の永続を願う 農業人としての農協経営


「ほかの産地は園地が急傾斜で作業効率が悪いうえに高齢化が進んでいるから、これから生産量は一気に落ちてくると考えている。このままでは将来的にミカンは足りなくなる」
ミカンの生産を維持、あるいは拡大していく――。これは個人とともに、JAの経営としての基本方針である。

いまよりもっといい方法があるはず

車窓から眺めていたように奥浜名湖に臨む三ヶ日町の園地は、どこも傾斜がゆやかで農作業はしやすく、農家の生産意欲は落ちにくい。ただ、それは自然の利だけに頼っているのではない。後藤をはじめとする農業人らの英知と努力、協調がある。
代表的なところでいえば、機械化体系の構築がそうだ。
「俺が大学を卒業するまではどの作業も人力だった。うちは親父が町会議員だったから、祖父母と母とで5haをこなしていた。こんなことをやっていたら続かないと思ったよ」
これが原体験となり、後藤は大学卒業後に実家で農業を始めるや、仲間とともにスピードスプレーヤー(SS)の研究会を設立する。傾斜の園地をならし、農道も整備した。それでSSやユンボ、軽トラなどが入れるようになり、防除や施肥、収穫、樹の植え替えに至るまで楽にできるようになった。
その資金に充てたのは国際機関WTOの前身であるウルグアイ・ラウンド(86~94年)の対策予算だ。8年間で6兆1000億円の金がばらまかれ、場所によっては農業とは無関係に思える温泉施設を構えるところもあった。対して後藤らは、その金で先のような基盤整備を進めた。
いまではすべての組合員が当たり前に使っているフォークリフトによるパレット輸送を導入したのも後藤らだ。パレットの寸法を考え、トラックに載せられるようにしている。
「いま、うちの管内で活躍している機械はほとんど自分が提案したと思う。クリエイティブな仕事がしたかったから」
機械化一貫体系を進めた個人的な理由をこう述べる。母校である日本大学の経営学科の授業で、イノベーションという言葉が印象に残っていたからかもしれない。
「イノベーションという言葉が好きだったね。良い方向に変えていきたい、それが自分の行動原理のすべてといっていいかもしれない。いまのままではなく、もっといい方法がきっとあるって」
単純作業から解放されていった後藤にとって、畑に出れば試してみたいことはいろいろあった。
畑でのこんなエピソードがある。いつまでも帰宅しないことに妻が心配してやってきた。その呼びかけにふと我に返ると、辺りは真っ暗で、時刻は午後8時を過ぎていた。のめり込むと、どうにも止まらなくなってしまう性分らしい。とりわけ農業は自分が手をかけたことに対し、かなり直接的に事態が変わっていく。

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