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新・農業経営者ルポ

ミカン産地の永続を願う 農業人としての農協経営


「俺はいまでこそ農協の経営をしているけど、自分はあくまでも農業人だと思っている。農協の経営でも農業人としての視点で見てしまう」

本当は農業を続けたかった

そんな後藤にとって、そもそも農協は最初はまったく関心がなかったという。
それが08年のある日に突如として専務から声がかかる。農業ができなくなるから断りたかったが、でも断われなかった。地域の大先輩でもあるJAの組合長や理事のみなさんに頭を下げられたからだ。やむなく引き受けることを決めて家族に打ち明けると、妻からかたくなに反対された。
「とにかく泣くに泣かれて……」
いまでこそ苦笑いするが、かなり大変だったようだ。当時の後藤自身の農業経営を見ると、長男の健太郎が東京農業大学を卒業後、実家で農業に就いてまだ3年目。組合長ともなれば、家業に費やす時間はまずもって取れない。家族としては大黒柱をなくして経営がうまく回っていくのか不安だった。冒頭、農園に向かう車中で「ほんと嫁と息子には感謝している。頭が上がらないよ」というつぶやきにはこうしたことが背景にある。

農協の原点はやはり地域の農業

農協に入った後藤が最初に感じたのは、なんてぬるい組織なんだということだった。この率直な感想は組合長になったいまに至るまで変わっていない。手厳しくこう評する。
「農協の職員はいつまでも自分たちの組織が続くと思っている。JAグループという組織に守られていると思っているから。だから、もっと良くしたいという気持ちが弱いし、新しい発想もない。
すでに農協は制度疲労を起こしている。メインの事業である金融・共済事業に将来はないよね。超低金利だし、リテールだってなくなっていく。組合員は一気に減っていくだろうし、そうすれば預貯金は跡取りが住んでいる都市部の銀行に持っていかれる。共済も少子高齢化で、対象者はますます減っていく。営業先を広げたくても、農協にはテリトリーがあるじゃない。基本的に売りに行けない」
それではどうするのか。見つめる先は足元にあるという。
「地域で食っていくしかない。それには組合員に儲けてもらうことが大事。俺はよく『外貨獲得内貨循環』という話をするんだ。うちの強みはミカンだから、その強みを伸ばすのが経営。だからミカンで儲ける。うちの農協の経営にはそれしかない」
専務になった後藤は自分の諮問機関として経営企画室を設置。この部署の職員とは共通の言葉、価値観を共有したかったことから各種勉強会を開催するほか、情報を共有して分析し、今後の経営戦略を練った。このころからいまに至るまで続けていることはできるだけ農協の外に出て、職分に関係なく興味のある人に会ったり勉強会に出たりすること。それも可能な限り、職員を連れていく。組織の中で右往左往する農協人的イメージとはまるで違う。

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