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【新・農業経営者ルポ】
逃げずに前向きに繊細さを加味しながら挑んだ大規模経営
- 代表取締役 (有)石原農場 石原新太郎
- 第175回 2019年01月31日
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2016年2月26日、北海道北見市のとあるホテルのセミナー会場に石原の姿はあった。馬鈴薯専門誌『ポテカル』の編集部が主催する「第4回インファロー技術研究会」のパネルディスカッションでパネリストの一人として登壇していたのだ。司会が経営概要の説明を促すと次のように淡々と語り出した。
「経営面積は135haで馬鈴薯は35ha……」
農林水産省による『2015年農林業センサス』(最新)で、北海道での販売目的の馬鈴薯の作付面積から経営体数を割った1戸当たりの平均は約5.5haになる。つまり、6倍以上の面積をこなしている計算だ。
彼にとって規模的には小麦が上だが、経営上の重要度でいえば馬鈴薯であることは間違いなかった。そこに至る歴史をひも解くと、苦境を乗り越えるがために導き出された答えが生食用馬鈴薯だったと気づくことになる。
石原の出自は香川県にあり、彼自身は石原家の十代目に当たる。六代目が明治20(1887)年に初めて北海道に渡り、洞爺村(現・洞爺湖町)へ入植して農業を始める。続く七代目が長万部村(現・長万部町)、網走町(現・網走市)と移住し、八代目が馬鈴薯でん粉工場を9年間営んだ後、現在の居所(現・大空町女満別)へたどり着く。石原の父で九代目の守は、昭和25(1950)年ごろから営農を引き継ぎ、次々と山林原野を購入して均平工事を行なうことで農地を増やしていった。それは地元にとどまらず、美幌町や網走市、東藻琴村(現・大空町)にまで及んだ。
「親父がやっていたころはね、農家に規模拡大の意欲があっても離農者が少なく、近所で農地を集めるのは無理だったんだ。当時も周囲の農家より面積が多かったから農業委員会の斡旋対象にもならず、それで隣町とかまで出ていっていたんだよね」
「経営面積は135haで馬鈴薯は35ha……」
農林水産省による『2015年農林業センサス』(最新)で、北海道での販売目的の馬鈴薯の作付面積から経営体数を割った1戸当たりの平均は約5.5haになる。つまり、6倍以上の面積をこなしている計算だ。
彼にとって規模的には小麦が上だが、経営上の重要度でいえば馬鈴薯であることは間違いなかった。そこに至る歴史をひも解くと、苦境を乗り越えるがために導き出された答えが生食用馬鈴薯だったと気づくことになる。
拡大路線の末に借金1億5000万
石原の出自は香川県にあり、彼自身は石原家の十代目に当たる。六代目が明治20(1887)年に初めて北海道に渡り、洞爺村(現・洞爺湖町)へ入植して農業を始める。続く七代目が長万部村(現・長万部町)、網走町(現・網走市)と移住し、八代目が馬鈴薯でん粉工場を9年間営んだ後、現在の居所(現・大空町女満別)へたどり着く。石原の父で九代目の守は、昭和25(1950)年ごろから営農を引き継ぎ、次々と山林原野を購入して均平工事を行なうことで農地を増やしていった。それは地元にとどまらず、美幌町や網走市、東藻琴村(現・大空町)にまで及んだ。
「親父がやっていたころはね、農家に規模拡大の意欲があっても離農者が少なく、近所で農地を集めるのは無理だったんだ。当時も周囲の農家より面積が多かったから農業委員会の斡旋対象にもならず、それで隣町とかまで出ていっていたんだよね」
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石原新太郎 イシハラシンタロウ
代表取締役
(有)石原農場
1957年、北海道女満別町(現・大空町)生まれ。高校卒業後、就農。26歳で経営者になる。2001年、(有)石原農場を設立し、代表取締役に就く。現在の経営面積は約130haで、秋小麦を43ha、春小麦を17ha、馬鈴薯を35.4ha、てん菜を24.5ha、小豆を6.8haと作付けする。身内以外の従業員はおらず、石原の弟、子息2人、妻の計5人で構成している。年商1億5,000万円(2017年)。
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