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「これがあったから逆に良かったと思っているよ。ギャンブルじゃないけど、1回いいことがあると次から倍々ゲームになっちゃうじゃない。失敗は成功のもとっていうしね。ちょっと授業料が高かったけどさ。家族の協力なしにはなし得なかったよ」
顧客のニーズに応えていく一方で、農家として再生産可能なラインを越えていかなければならないことを強く認識するのもこのときだった。
経営発展を陰ながら支えてくれたミツバチ族のライダーたち
石原のところでは過去も現在も身内以外は雇用していない。とはいえ、ちょうど馬鈴薯の商系出荷に着手する前後からミツバチ族のライダーが入れ代わり立ち代わりやってきては貴重な戦力になってくれた。ミツバチ族とは80~90年代のバイクブームのころ、北海道を長期間ツーリングするライダーのことを指し、石原の親戚が網走市でライダーハウスを経営していた関係で、走行資金に困ったライダーがこぞって石原のところに集まってくるのだった。
「突っ走る親父の様子を見ながら自分と弟とで作業していたわけだけど、私の息子2人もまだ小さかったし、面積も面積だから働き手が必要だったんだよね。そんなところに現れたのがミツバチ族の愛すべきキャラだったわけだ。15年くらい、短いので1日、長いのだと1年とかで、合計したら何百人にもなるかな。内地(都府県)で退職してきた25~28歳くらいの若いのが多かったね。でも、仕事は一生懸命やるし、家族みたいな間柄だったよ」
機械のオペレーターまで任せることはなかったが、やる気のある人には石原が費用を負担して大型特殊の免許を取らせてあげたという。その後、ビジネス上でつながることはなかったものの、巣立った人のなかには北海道で新たな職を見つけて定住するケースもあったようだ。
いずれにしても、経営が発展していくうえで、陰ながら支えてくれたのがこれらミツバチ族のライダーだった。
超難題の提案に挑戦するも断念、現実の経営を見据えて方針転換
15年ほど前、東京の某スーパーマーケットとの大型取引に際し、特別栽培に自然枯凋の条件を加えた男爵薯を供給してほしいと提案される。通常、馬鈴薯の栽培では収穫前に茎葉処理を農薬や機械で実施する。植物体としての抵抗力がどうしても弱まっている時期であり、病害のまん延を防ぐのにこの茎葉処理は外せない。そんななか、いざ挑戦してみると、廃棄同然で運賃くらいにしかならないでん粉原料用ゆきを経験することになる。
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石原新太郎 イシハラシンタロウ
代表取締役
(有)石原農場
1957年、北海道女満別町(現・大空町)生まれ。高校卒業後、就農。26歳で経営者になる。2001年、(有)石原農場を設立し、代表取締役に就く。現在の経営面積は約130haで、秋小麦を43ha、春小麦を17ha、馬鈴薯を35.4ha、てん菜を24.5ha、小豆を6.8haと作付けする。身内以外の従業員はおらず、石原の弟、子息2人、妻の計5人で構成している。年商1億5,000万円(2017年)。
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