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特集

平成の日本農業 明日のために振り返る

改めて問う「政策依存体質から脱却」 本誌の創刊100号目であった2004年の5月号に「明日のために日本農業を総括する」という座談会が掲載されている。1945年の敗戦そして農地改革に始まる戦後農政を、2002年の米政策改革大綱が発表され、04年の実施にもかかわらずなし崩しにされた頃までを振り返ったものだ。コメ市況の低迷を理由に「緊急対策」として大綱とは矛盾するように時代が流れていった時代であった。 その後の政変に伴う混乱によって農政は様々に変化してきたが、政権政党の違い、表現の違いはあっても「バラマキ」の実態には変わりはない。コメ市況高値維持を目的とした様々な主食用米隔離政策。その最たるものが飼料米政策であり、コメ輸出増大のための施策も産業政策に名を借りたバラマキと言える。
一方、政策の効果というより団塊世代がすべて70歳代になるという高齢化の時代に、農業の現場では確実に世代交代が進み、それまでの農業・農村では考えられなかったような自由で創造的な若い農業経営者たちが登場するようになった。さらに、まだ面積は限定的であるが本誌読者たちの間で始まった水田での子実トウモロコシ生産が農水省も政策として取り上げるようになった。
しかし、以前にも増して過大な交付金バラマキ。そのバラマキを原資として好機として未来への投資に差し向けようとする人もいるが、それにより農業経営者たちの政策依存体質が強まるという危惧もある。そんな「今」を改めて総括してみる。

ここがロドスだ、ここで跳べ

山道弘敬

飢える者は幸せである。飢えから脱出することが人生の目標となるからである。それでは飢えていない人間にとって、何が人生の目標となるのか。ユニークな経営で建設業界を席巻している静岡県の平成建設秋元社長は「希望がないから老いる」と言う。今まさしく日本は希望のない「老いゆく」国家になり果てようとしている。

【希望を持ち続けていかに生きるか】

戦後の日本は人生の目標を「飢えをしのぐ」という本能に任せることができた。あるいは何もないという状況から立ち上がって、物欲や富の追求に身を任せることができた。しかし、「人はパンのみにて生きるに非ず」という問いに正解を出してきたわけではない。日本は今、飢えずにして「いかに希望を持ち続けて生きることができるか」を問われている。
オランダ人は努力し続けなければ海の底に沈んでしまう土地に国家を築いた。それ故に、彼らの農業は困難を克服して未来を切り開こうとする活力にあふれている。一方、長らく国家の管理下で保護されてきた日本の農業では、まさしく自立心の醸成において大失敗を継続してきた。
大潟村の涌井さんのような、国家に背いて保護に「ノー」を言い続けてきた農業者が自立心とやる気にあふれていることが、保護というものの本質を表している。困難に立ち向かうたびに国家という親の前で駄々をこねるような姿勢ではとうてい自立などおぼつかない。甘やかされて育った子供はとうとう自立できずにダメになるというのが繰り返されてきた現実である。

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