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土門「辛」聞

フランス食文化紀行―伝説の料理人がフードコートに甦った

初めてヨーロッパを訪れたのは、学生時代の1969年。人類が初めて月面に降り立った年だった。当時の西ドイツ西部のケルンに半年ほど滞在した。その地の貯蓄銀行で3カ月間の研修を受けるためで、残り3カ月はヨーロッパ各地を旅した。そのときに受けた印象があまりにも強烈だったので、それ以降もヨーロッパ通いを続けている。
ここ20年ぐらいは春と秋の年2回のペースで訪れている。数えてみたら60回以上になろうか。旅行スタイルも変わった。春は一人旅だが、秋は仲間を誘ってのドライブ旅行。昨年秋も仲間5人とパリからミラノ近郊のノヴァーラを往復してきた。お目当ては、フランスではブルゴーニュのワイン産地、食の都リヨンのポールボキューズ市場、イタリアでは美食の町として名高い西北部のアルバにも足を伸ばした。

銘醸地から世界へ情報発信

羽田10:55発の午前便がパリに着いたのは現地時間15:40。パリでデモが頻発していた割にはスムーズな出国だった。それでも空港でレンタカーを借りて出発したのは、日が沈んだ17:40。
その日は、パリ市内に向かわずに200km南のシャブリ村を目指した。片道900kmに近い行程なので、1kmでもイタリアに近づいておきたかったのだ。それにお目当てもあった。16年にこの村で日本の若者3人がオープンしたレストランで夕食をとることと、辛口白ワインで知られるシャブリのブドウ畑を見ることだ。
そのレストランは、村の中心部にある「Les Trois Bourgeons」。「3つのつぼみ」という意味らしい。若者3人の共同経営でオープンしたことにあやかった。
レストランのことは、日本出発前に旅行検索サイト「トリップアドバイザー」で見つけた。15軒のレストランが紹介されていたが、トップにランキングされていて、コスパが高いという書き込みで決めた。ホームページをチェックすると、日本の若者3人のスリー・ショットがあった。すぐに電話で予約した。
3人は、調理師養成の辻グループの専門学校などで料理の基本を学び、フランスに渡り、レストランで修業経験を積んでいた。

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