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【新・農業経営者ルポ】
牛島謹爾シリーズ(1)アメリカ帰りの開拓者精神を後代まで継承
- (有)久保田園芸 取締役(寿)・代表取締役社長(淳) 久保田寿・淳・裕作
- 第176回 2019年02月28日
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なお、ガラスハウスの建設にあたっては、カルシウム肥料の「カルゲン」の存在が大きかったのだという。単一作物や輪作周期が短い栽培では土壌の入れ替えや土壌消毒が必要になる。そこで聞きつけたのがこの資材だった。地元・久留米市内に本社のある(株)坂田種苗からカルゲンを使えば土壌はそのままでも大丈夫との情報で確信し、今日に至るまで連作障害は発生していないという。
謹爾を端緒にした精神の系譜が三代目以降にも紡がれる
80年代半ばには高校を卒業した寿の長男で、(有)久保田園芸現社長の淳が奈良県のイチゴ農家やブラジルでの研修を経て、就農している。そのイチゴ農家でのことにまつわるエピソードを寿が教えてくれた。
「親父(民藏)が私に先祖のことを話してくれたように、私も息子(淳)に同じように接しました。すると、研修先の主人から『淳くんがおじいちゃん(民藏)のことをよくしゃべっていましたよ』と聞いたんです。そのとき、自分は親に恵まれたと思いましたね」
作付品目は状況に応じて変化させてきた。現在ではハーブ類のメジャー品が基幹になり、サラダ用ケールやサンチュ、昨年からはモロヘイヤの生産に取り組んでいる。ハーブ類は、20年くらい前にオオバがプラスチック製に代用されていくなかで導入したものだ。これには寿の弟の稔(故人)が大いに関与している。
「稔は親父(民藏)から糸島の土地を購入してもらって営農していたんですけど、外に出なくちゃいかんというタイプでした。そんな稔に息子(淳)が『おじさん、おじさん』と慕ってよく交流していましたし、稔の長男で(有)久保田農園現社長の真透くんともそうでしたね。こうした親戚関係があるのも我が家系の特徴かもしれません」
稔は、謹爾や藤藏が活躍したカリフォルニアを旅したことがある。そのときに見つけたのがハーブのコリアンダーだった。詳細は次号に持ち越すが、販売が軌道に乗ると供給が不足することがしばしばあった。ここで日ごろから連絡を取り合っていた稔と淳とで補完的生産が持ち上がる。同時に淳は新規営業開拓を申し出た。稔のテリトリーである福岡市内には手をつけないと切り出すと、鹿児島と宮崎の取引先はお前にやろうと逆提案された。淳は稔の下で研修したこともあった。
「農業の知識はもちろんですけど、ただ物を作るだけではなく、自分の野菜を使ってくれるお客様第一の考えをよく聞きましたね。牛島さんには思い入れが非常に強く、何事にも挑戦すること、実践して得られることがあると語っていました。それは常に念頭に置くようにしています」(淳)
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久保田寿・淳・裕作 クボタヒサシ・スナオ・ユウサク
(有)久保田園芸
取締役(寿)・代表取締役社長(淳)
久保田 寿:1941年生まれ。57年、就農。/久保田 淳:1965年生まれ。三重県の日生学園高校を卒業後、奈良県のイチゴ農家や福岡県のブラジル研修を経て、就農。93年、(有)久保田園芸を設立。2000年からハーブ類の生産を始める。11年より現職。/久保田 裕作:1992年生まれ。琉球大学農学部を卒業後、久留米市卸売市場内の(有)ロジスティクス久留米に入社。2018年、就農。
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