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地域活性化という「遊び」

「あって当たり前」を疑う「無いという出発点」

2月2日は末娘8回目の誕生日でした。
誕生日!というと
まさに昭和の子供という子供時代を送った僕なんかは
百貨店のおもちゃ売り場の喧騒が
パッと頭に浮かぶのですが
そういう場所に自分の子供を連れていったことがほとんどありません。
こういうところに暮らしていますと石ころとか木の枝とか葉っぱとか
ちょっと工夫すれば遊べるものは
いくらでもあるので
わざわざ車飛ばして百貨店まで行く必要はないと思っています。
そうはいっても
子供たちは欲しがるでしょうと聞かれるのですが
いわゆる「おもちゃ」というものを
欲しい欲しいと駄々をこねられた記憶は一度もありません。
どうしたらそうなるのか?
とカフェにやってくる
子育て奮闘中のお父さんお母さんに質問されることも多くなり
娘の誕生日やこの原稿のこともあるので久々に深く考えてみました。
2日ほどたってふと思い浮かんだ言葉が「出発点」。
物事はやはり最初が肝心。
そもそもおもちゃがないと
子供たちは遊べないのかというと
実はそうではありません。
バックパッカーで世界中を旅して回った20代アフリカで
何もないのに毎日楽しそうに遊ぶ子供たちの笑顔を
そこらぢゅうで見かけました。  
旅行を終え
そんな国々から比べるとはるかに裕福で豊かな日本に暮らし始め
さて日本の子供たちは
何して遊んでいるのかなと
周囲を見回してみますが
まず外で遊んでいる子供をあまり見かけません。

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