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【北海道長沼発ヒール・ミヤイの憎まれ口通信】
蝦夷を望む 第1話
- 西南農場 代表取締役 宮井能雅
- 第130回 2019年02月28日
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時は明治になる60年以上も前のことだ。江戸幕府となり200年の年月が過ぎ去った。
武士が武士として威張ることができるのは腰に差した刀があるからだが、それで日々の暮らしが豊かになる時代は実現しなかった。
そんなことよりも、日々の食べ物の確保が一番重要になっているのが現実である。
そんな日々のなか、二人は南部地方を襲った“やませ”と呼ばれる大冷害の被害で、農村でも餓死する者が現れる悲惨なときに夫婦となった。
多くの犠牲者は老人と、将来の働き手となる子どもたちだった。
甘い新婚生活とは程遠く、米の収穫は皆無に近い状態で、これから訪れる前途多難な人生の幕開けが二人を待っていた。
勘三郎は代々南部藩の勘定方を務める下級武士を父にもつ林田家の三男として生を受けた。
だが、日々の生活は米をたらふく食べるにはほど遠い、質素な生活ぶりであった。
年貢として集めた配分があるが、民が草木をむしる姿を見るとなんともやりきれない気持ちになる。
そして秋が終わり冬が近づくと、雪が解け草木が芽生える春が恋しくなる。そう考えただけで肉体的そして精神的にも追い詰められていく自分の姿があった。
藩のお役目以外、冬のあいだは雪深い南部の地ではただただおとなしく静かにしているしか生き延びる術はなかった。
そんなある日、南部藩に出入りしている魚の行商人の世吉(よきち)と話をした。
世吉は勘三郎に北の蝦夷(えぞ)の地は豊かであると話をした。
勘三郎は世吉に問いただした。
「お前は魚の行商なのに蝦夷に行ったことはあるのか」
「いいえ、私は津軽にも行ったことがない南部人です」
「では、なぜ蝦夷の地について詳しいのだ」
「はい、実は弟の安助(やすすけ)が漁師をしていまして、以前、嵐にあって蝦夷の地に漂流してしまいました」
武士が武士として威張ることができるのは腰に差した刀があるからだが、それで日々の暮らしが豊かになる時代は実現しなかった。
そんなことよりも、日々の食べ物の確保が一番重要になっているのが現実である。
そんな日々のなか、二人は南部地方を襲った“やませ”と呼ばれる大冷害の被害で、農村でも餓死する者が現れる悲惨なときに夫婦となった。
多くの犠牲者は老人と、将来の働き手となる子どもたちだった。
甘い新婚生活とは程遠く、米の収穫は皆無に近い状態で、これから訪れる前途多難な人生の幕開けが二人を待っていた。
勘三郎は代々南部藩の勘定方を務める下級武士を父にもつ林田家の三男として生を受けた。
だが、日々の生活は米をたらふく食べるにはほど遠い、質素な生活ぶりであった。
年貢として集めた配分があるが、民が草木をむしる姿を見るとなんともやりきれない気持ちになる。
そして秋が終わり冬が近づくと、雪が解け草木が芽生える春が恋しくなる。そう考えただけで肉体的そして精神的にも追い詰められていく自分の姿があった。
藩のお役目以外、冬のあいだは雪深い南部の地ではただただおとなしく静かにしているしか生き延びる術はなかった。
そんなある日、南部藩に出入りしている魚の行商人の世吉(よきち)と話をした。
世吉は勘三郎に北の蝦夷(えぞ)の地は豊かであると話をした。
勘三郎は世吉に問いただした。
「お前は魚の行商なのに蝦夷に行ったことはあるのか」
「いいえ、私は津軽にも行ったことがない南部人です」
「では、なぜ蝦夷の地について詳しいのだ」
「はい、実は弟の安助(やすすけ)が漁師をしていまして、以前、嵐にあって蝦夷の地に漂流してしまいました」
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宮井能雅 ミヤイヨシマサ
西南農場
代表取締役
1958年3月、北海道長沼町生まれ。現在、同地で水田110haに麦50ha、大豆60haを作付けする。大学を1カ月で中退後、農業を継ぐ。子供時代から米国の農業に憧れ、後年、オーストラリアや米国での農業体験を通して、その思いをさらに強めていく。機械施設のほとんどは、米国のジョンディア代理店から直接購入。また、遺伝子組み換え大豆の栽培を自ら明かしたことで、反対派の批判の対象になっている。年商約1億円。
北海道長沼発ヒール宮井の憎まれ口通信
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