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北海道長沼発ヒール・ミヤイの憎まれ口通信

蝦夷を望む 第1話

さー着いたぞ、これからは自由だ。米を思いっきり好きなだけ作れるぞ! 「はい、そうですね」と静かにつるは答えた。 まだ開拓も進んでいない北の大地にやってきたのは、南部藩の下級藩士である林田勘三郎と妻のつる。
時は明治になる60年以上も前のことだ。江戸幕府となり200年の年月が過ぎ去った。
武士が武士として威張ることができるのは腰に差した刀があるからだが、それで日々の暮らしが豊かになる時代は実現しなかった。
そんなことよりも、日々の食べ物の確保が一番重要になっているのが現実である。
そんな日々のなか、二人は南部地方を襲った“やませ”と呼ばれる大冷害の被害で、農村でも餓死する者が現れる悲惨なときに夫婦となった。
多くの犠牲者は老人と、将来の働き手となる子どもたちだった。
甘い新婚生活とは程遠く、米の収穫は皆無に近い状態で、これから訪れる前途多難な人生の幕開けが二人を待っていた。
勘三郎は代々南部藩の勘定方を務める下級武士を父にもつ林田家の三男として生を受けた。
だが、日々の生活は米をたらふく食べるにはほど遠い、質素な生活ぶりであった。
年貢として集めた配分があるが、民が草木をむしる姿を見るとなんともやりきれない気持ちになる。
そして秋が終わり冬が近づくと、雪が解け草木が芽生える春が恋しくなる。そう考えただけで肉体的そして精神的にも追い詰められていく自分の姿があった。
藩のお役目以外、冬のあいだは雪深い南部の地ではただただおとなしく静かにしているしか生き延びる術はなかった。
そんなある日、南部藩に出入りしている魚の行商人の世吉(よきち)と話をした。
世吉は勘三郎に北の蝦夷(えぞ)の地は豊かであると話をした。
勘三郎は世吉に問いただした。
「お前は魚の行商なのに蝦夷に行ったことはあるのか」
「いいえ、私は津軽にも行ったことがない南部人です」
「では、なぜ蝦夷の地について詳しいのだ」
「はい、実は弟の安助(やすすけ)が漁師をしていまして、以前、嵐にあって蝦夷の地に漂流してしまいました」

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