ナビゲーションを飛ばす



記事閲覧

  • このエントリーをはてなブックマークに追加はてな
  • mixiチェック

山道弘敬の本質から目を逸らすな

産業の健全な育成のために必要な施策の中心はICT農業では断固ない

本誌2019年2月号の特集「平成の日本農業 明日のために振り返る」での巻頭記事など、たびたび寄稿していた山道弘敬氏の連載をついに始める。日本農業が抱える問題に真正面から向き合い、本質を突く鋭い視点でこれからの事業経営へのヒントを提示していく。
新しい時代の農業の胎動ということで、トラクターの自動走行やドローン、衛星画像の解析など、ICT技術による農業の高度化が話題になって久しい。この先の日本の農業にはバラ色の世界が待っているような錯覚を多くの日本人が持ったとしても不思議はない。こうした技術革新の勃興に浮かれている状況を目の当たりにし、産業の健全な育成のために本当にやるべきことが何かを自覚している関係者があまりにも少ないことに驚かされる。取り上げられている事柄はすべて“農業生産”にかかわることばかりであり、生産改善の議論をどれほど行なったとしても、それだけで農業が繁栄するものではないことに気づくべきである。生産された作物はどこへ行くのか。作りさえすれば勝手に消費されるのか。
近年、日本政府は海外の施設園芸技術の導入に積極的であり、その尻馬に乗ったオランダ政府は何度も日本に使節団を送り込んで技術の売り込みに躍起である。そうした喧騒の後に当然予想されるべきことがどうやら起こり始めている。それは、施設園芸作物、とくにトマトの供給過剰である。鉄は国家なりと言ったところで、製鉄会社が製鉄業だけで成立するわけではない。それを利用している自動車産業や建設業など、素材としての鉄を消費に結びつけていく産業があって初めてその繁栄が保証されるのである。

関連記事

powered by weblio