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特集

世界農業入門Part2


「大丈夫か」との声も聞こえてきそうだが、図3をみてほしい。14世紀から現在までのヨーロッパ5カ国の農家の労働人口比率である。日本に先立つこと100年以上前、18世紀から19世紀にかけて農家比率の降下がはじまっている。なかでも英国の減少開始がいちばん早く、降下スピードも急である。なぜか。
これは英国が世界に先駆け、4つの農業改革を断行した時期と重なる。(1)三圃式農業からより高度な「多年輪作方式」(4年から6年)への移行、(2)農地と耕地の完全な所有と自由な利用を認める「囲い込み」農政、(3)鉄鋼の大量生産と蒸気機関の発明が相まった「農業機械化」、(4)専門育種家による「品種改良」の4つである。
農地の個人所有により農家のモチベーションが高まり、高度な多年輪作により穀物と飼料作物、根菜類、畜産物の供給量が増大した。これは耕種と畜産を調和させた新たな「混合農業」体系でもある。農産物と畜産物、双方の出来や価格、収益率に応じて、英国の農家はそれぞれの比重を微妙に調整しながら改善していく農業経営力を高めていった。
農業不適地においても大規模な資本投下により、大がかりな客土や土壌改良もはじまった。鋼鉄製のシードドリルも19世紀半ばから普及しはじめている(写真1)。農耕史上、例をみない播種作業の高速化と精密化を実現した。同世紀後期には、蒸気機関トラクタの導入により土作業(写真2)の機械化もはじまった。耕起作業スピードが急速に高まり、1900年には農家人口は15%となっている(日本は1970年頃)。20世紀初頭に、少数精鋭農家による大規模化農業時代を英国は迎えていたのだ。
農家とあわせて育種家の地位向上が進んでいったのも英国だ。1884年に英国園芸協会が品種名登録制度を開始し、1904年に他の品種との区別性を審査する制度がはじまった。自分の品種が作品として世に認められるようになり、育種家のモチベーションが高まった。高品質・高収量種子の開発スピードが向上したのは言うまでもない。
以上のような経営改革や技術革新、規制緩和に伴い、農家個人の能力が開花したのだ。生産性が高まり、少ない農家でより多くの食料生産が可能となったのである。
その結果、農産物の自由市場を阻害する輸入関税や高値維持のための穀物法が1846年に廃止される。そして、現代につながる農業の自由貿易時代が英国で幕を開けたのだ。
ここまで先進国の農家比率でみてきたが、正味の農家人口をみていこう。図4は先進10カ国の農家数推移を1801年から表している。日本では明治維新の19世紀後半から農家数が減り始めている。英国をはじめとする欧米の近代農業の導入効果だ。農地の私有を認め、年貢の代わりに地代を収める大改革「地租改正」が行なわれたのもこの時期だ。かつての英国同様、私的所有権と経済の自由を得た日本の農家の経営意欲は飛躍的に向上した。

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