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だからというわけではないが、1パック3、40 gで400円、キロ単価で換算すると1万円にもなるものがあった。
「主人がウチのハーブは日本一高いと言っていましたね」
こう切り出すのは稔の妻である眞佐子だ。高価格を維持できたのは、どこにもないものをどこよりも早く商品化し、豊富な品ぞろえを含めた提案力があったからに他ならない。それを支えたのは女性のパートタイマーたちだった。調製作業に繊細さを要求されるオオバでの経験が生かされ、茎が3cm、葉が4cmのルッコラを450枚といったようなオーダーにも柔軟に対応してみせている。
自分の行動が誰かの夢の種になってくれれば
稔は、周囲の農業への見方を一変させることまで念頭に置いていたそうだ。その象徴的なエピソードは趣味と連動するものだった。
「久保田さんは、ダットサン(注:日産自動車にかつて存在した小型車専用ブランド)とか車が好きだったんですね。アメリカからそのピックアップトラックを輸入して乗っていました。ホイールもビカビカにしてね。市場へ行くにもそれでしたけど、車体に『久保田農園』とは記さない。誰だかわからないじゃないですかと聞いたら、久保田さんはこんなふうに答えてきました。
『そもそも市場に不釣り合いだから目立つし、俺のことを知らない人が知っている人にしゃべったら、あれが糸島の久保田農園の社長だよとなるでしょ』
自己顕示欲からではなく、若い人たちに頑張ればチャンスがあって儲けられることを示したいんだと発言していました」
中橋は、晩年の稔との交流ではホテル直営農園の開設に協力を仰いだ。
その前段階としてホテル日航福岡では、2001年から農業体験を通じて食の大切さや大勢で食卓を囲む喜びなどを感じてもらう「親子で楽しむ春・秋の農園」をスタートさせていた。事前に相談した稔から後押しされ、久保田農園も利用しつつ継続している。
中橋は、その延長線上でホテル直営農園を所有したいとの思いに駆られる。これも快諾した稔だったが、絶好の場所を提案してあげた2016年8月にはその身体が病魔に侵されていた。
「久保田さんが亡くなってから思ったんですけど、自分の寿命をある程度逆算してこのままじゃ中橋が畑を持てないだろうから早く動いておかないといけないと考えてくれたんでしょうね。最後のプレゼントです。俺はいなくなるけど、お前たちでここをやっていけと託されたような気がします」
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久保田真透 クボタマサユキ
(有)久保田農園
代表
1975年、福岡県糸島市生まれ。高校卒業後、福岡県立農業試験場(現・福岡県農林業総合試験場)とアメリカ・ワシントン州の小規模レタス農家で実習する。帰国後、家業の(有)久保田農園に就農。2008年、二代目として現職に就く。糸島市と大分県九重町に計約6haの圃場を展開し、ハーブ類や西洋野菜などおよそ100品種400アイテムを生産する。陣容は、役員3人(本人、妹、妻)、社員10人、パートタイマー約100人になり、うち女性が7割を超える。売上高は5億円(2018年)。通年供給のため、沖縄県と北海道に生産委託農家も抱える。
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