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特集

日本のGAPの今


帰国後、残留農薬問題を抱えているのは国内も同じだと思っていたので、日本の農家・農場事情を反映させたJAPAN GAP(JGAP)を作成し、その導入・普及を図りたいと考えていました。GAPを取得した先駆者、農業経営者の有志たちとGAPの勉強をしながら準備を進め、総合商社にも話をしたのですが、「商社のビジネスにならないから」という至極真っ当な理由で断られました。それで会社を辞め、NPO法人日本GAP協会の設立と同時に初代事務局長に就任しました。
昆 協会の設立当初はいろいろな事情が重なって運営に苦労され、理事長が早期に辞任するなど多くの混乱があったようですね。
武田 まだ組織として固まっていなかったし、理事たちの間でも何のための誰のためのGAP導入・普及かという大義がしっかりと共有されていなかったようです。転機を迎えたのは設立3年目の2008年です。適切に管理されたGAP認証農場から調達したいというバイヤーのニーズもあって、生協やダイエー、イオン、イトーヨーカドー、CGCといった流通業が協会に入会しました。
その時期に、3代目の理事長として高橋正行元農水事務次官が就任したんです。設立間もないNPOにはふさわしくない大物でしたが、もちろん天下りではありません。高橋さんは在任中無報酬で、経費精算でさえ一度もしませんでした。
高橋さんは「日本の農業界はGAPを放置したままにしていると、安全性の基準を認める権利を欧米に握られ、やがて国産の安全神話を根底から覆されてしまう。日本の農業・農家事情を反映した規格を育てていかないと後で泣きを見る」と直感され、理事長に就任してくれたのです。
昆 高橋理事長からはどんなことを学びましたか。
武田 高橋理事長は2009年に亡くなるのですが、事務局長として一番勉強になったのは、モノの見方、問題への対応でした。私が小手先の対策を提案すると「JGAPは横綱になるつもりじゃないのか。だったら横綱相撲を取れ」と諭されました。王道の大切さを学びました。

【JGAPかGGAPかの不毛な対立を超えて】

昆 日本のGAPをめぐる混乱の要因として、日本の生活実態や文化、農業・農場の実情に合わせたJGAP派と、GGAP派との対立が挙げられます。武田さんは以前、弊誌のセミナーに講師で来ていただいたときに「国際柔道連盟の理事に日本人がいないため、ルール変更に関与できない」という例え話をして、GGAPなどヨーロッパ農業の規格に呑み込まれるリスクを説かれました。

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