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北海道長沼発ヒール・ミヤイの憎まれ口通信

蝦夷を望む 第3話

「なぜだ! 俺たちがなにをしたというのか!」
絶望感とすべてが打ちひしがれた現実にやり場のない怒りを覚えた。
今まで経験したことがない地震で家が潰された。それも慣れ親しんだ裏山からの土砂ですべてを失った。自分だけではない。周りの家も同じように土砂に潰され、跡形もなく瓦礫の山になってすべてを失った。
6代前に南部藩から林田の祖先はこの蝦夷の地、イフツにやってきた。この地に住む多くも南部藩を含め東北諸藩からの移住者が多かった。苦労が絶えない開拓地ではあったが、今では食の生産基地として確立していた。
そして、まさか裏山が崩れ、身内が巻き添えになるなどとは想像もしたことはなかった。
子供のころはその山で虫取りや鬼ごっこ、秋になると親の手伝いとして山菜採りを手伝わされた。冬には板に乗り、急な斜面から雪上を滑り下りて遊んだ。これらは林田にとって無邪気だったころの思い出だったが、すべての記憶をかき消すかのように裏庭の山が牙を向いて住民に襲うことになった。
子どものころに聞いた祖父の話によると、この裏山と少し離れた北の山では樹木の種類が違うので不思議に感じていたという。
南部藩の名代として蝦夷開拓と防人としてやってきた林田勘三郎と妻のつると米農家そして、よろず屋として活躍する南部藩からの60名は遠回りをして日本海側を通り蝦夷を目指した。
北前船は最終目的地のトフマコマフ(現在の苫小牧)を目指すが途中、箱崎(現在の函館)に寄ることになった。箱崎は林田にとって北のオロシア国からの防衛最前線であるが、妻のつるは全くお気楽であった。
「旦那さま、蝦夷は南部と違いますね」
「そうか」
「はい。建物、通り、空気、見るものすべてが違います」
二人が箱崎に到着した時点で幕府はこの地を貿易港として開港していた。
本来であれば日本人と外国人を隔てる長崎の出島のような仕組みを考えていたが、それ以前に交易が進んでいたので、箱崎の町はお互いの住民が混在するかたちになった。
箱崎港にはオロシア、イギリス、アメリカの外国船をはじめ、北前船や地元の漁船など大きさの違いはあれ、規律正しく停留していた。
「旦那さま、今日の宿は決まっているのですか」
「いや、これからだ」
「では中町にしましょう」
「しかし他の者が……」

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