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【新・農業経営者ルポ】
牛島謹爾シリーズ(3)進取の気性で開園した自然植物公園に島の人口の200倍を呼び込む
- (株)能古島 のこのしまアイランドパーク 代表取締役社長 久保田晋平
- 第178回 2019年05月31日
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後に耕作に次いで二代目社長となる晋平は、反対の声が上がっても改善すべきことは断行し、同時に新たな 企画も実行していった。とくに1967年から海岸に移転していたキャンプ村・海水浴場は盛りだくさんだ。
アルゼンチン出身の知人と一緒に始めた「イスラ・デ・サルサ」というラテンミュージックとダンスとを組み合わせたイベントはかれこれ20数年続けている。ステージでは国内外のトップレベルのミュージシャンやダンサーたちと観客とが一体になり、リズムに合わせて自然と踊りだす。まるでカリブ海にいるかのように錯覚させる異空間が夏の終わりの2日間だけ出現する(注:昨年は1日間)。バーベキューがブームになりつつあったことを受けては、「手ぶらでBBQ」と銘打ち、園内から食材を運んで海岸で楽しむバーベキューを定着させた。それ以外にも、バナナの形状をしたゴムボートをジェットスキーで引っ張って海上を走る「バナナボート」や「海に浮かべるトランポリン」、ビーチバーまで手がけている。
リーガルウェディングは力を入れていくものの一つだ。これは海外での挙式を指し、ここでは香港など外国人によるものとなる。すでに実績はあるが、受け身の状態のため、小さなチャペルを設けるなどし、インターネットで積極的に宣伝していく意向だ。
ホームページについては日本語のほか、英語や中国語(簡体)、韓国語、タイ語と5カ国語に対応している。パンフレットはタイ語を除く4カ国語になる。ホームページでは今後、中国の繁体語に関しても制作していくことにしている。
創業理念からぶれない
2005年、耕作は70歳で他界した。さかのぼること6年前の1999年、晋平が37歳で二代目社長になった。生前の耕作は晋平にこんなことを言ったそうだ。
「金儲けが目的なら自分はもっと金持ちになれた自信がある。でも、自分の目的は能古島で事業を興し、成功させることだ」
園内の芝生で寝転ぶ父親や元気に遊ぶ子どもたち、楽しそうに過ごす来園者を見て、耕作は19歳のときに描い た夢は正しかったと思うのだった。
創業の理念に通じるエピソードを前掲書から引用したい。1979年に開設した防人の里だが、じつは1年間を除き部屋にテレビを設置していない。当時、小学校のPTA会長を務めていた耕作は、保護者との懇談で夜はテレビ漬けだの、親子で寝室は別だの、会話がないだのという話を聞く。それに着想を得て宿泊施設を建設する際、部屋に仕切りを設けず、テレビも置かなかった。癒しや人工的なものから遠くという観点からそうすべきと判断してのことだった。この原点を晋平が踏襲している。
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久保田晋平 クボタシンペイ
(株)能古島 のこのしまアイランドパーク
代表取締役社長
1962年、福岡県福岡市生まれ。アメリカ・カリフォルニア州の語学学校を卒業。帰国後、マンション販売会社を経て、(株)オリエンタルランドに就職。3年間勤務し、86年に家業ののこのしまアイランドパークへ移る。91年、(株)能古島設立。99年より現職。2018年の来園者数は約15万人、売上高は4億1,700万円。
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