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新・農業経営者ルポ

新規参入のアウトサイダーから地域の若手を束ねる存在に

「庄内平野を枯らさないでくれ」 (有)米の里の面接で、代表から言われたこの一言が、齋藤弘之に入社を決意させた。農業用資材の製造・販売会社の営業職を辞し、実家から離れた集落にある同社で就農した。入社当時12?haだった経営面積は60?haにまでなった。社員1人当たりの給与で1000万円を目標にしている。一方、行動は社内にとどまらず、庄内の若手農家を糾合し、経営を高め合いながら、各人の給与が2000万円の集団を作り出そうと意気込んでいる。 文・写真/窪田新之助、山口亮子

規模拡大と低米価に備え

「30歳くらいのとき、45歳までに100haと言っていた。だから、ちょうどいいペースなんだけど、時代の流れとしては遅いのかなと」
鶴岡市小中島地区にある米の里取締役の齋藤弘之は今年41歳になる。同社はここ数年、5haくらいずつ面積を増やしている。10ha強を一気に任される予定もあり、断りさえしなければ、齋藤が45歳になるころには100haに達するはずだ。
米の里は60haでコメを中心に、大豆、コンニャク、アスパラガスを生産する。実質的に経営を回している齋藤は、この地区の出身ではなく、実家が農業でもない。同社の社員募集を知るまでは農業をすることになるとは思っていなかったという。もともとアウトサイダーだった齋藤は、経営面積を広げ、ほぼ全量系統出荷だったのを直売でさばき、プラウを使った心土耕で土づくりに注力する。慣例と常識にとらわれない経営を行なってきた。
4年前に建設した500平方mの乾燥・調製施設のうち、乾燥機は1日5ha分の処理能力を持つ。自社で生産するコメ50ha分のほか、周辺農家の25ha分を乾燥・調製して買い取る。現状の規模からすると過剰ともいえる処理能力の高さは今後の規模拡大を見越してのものだ。乾燥機は毎年1基ずつ新しいものに更新する。
見据えているのは離農に伴う大量の農地の放出だけではない。米価の高止まりはいつまでも続かないと考えている。周囲を1枚30aの圃場に囲まれた中で、米の里の社屋のすぐ近くの圃場は70~90aの広さだ。
「いまは米価が高いけど、いずれ安くなって1俵1万円の時代が来たとき、大規模法人でも小さな区画で中途半端に生産していてはすぐつぶれるだろう。米価が高いいまのうちに区画を大きくし、機械投資もして、生き残れる可能性を高めたい」

代表の思いに打たれて就農

齋藤の実家では70aほどの農地を祖父が耕作していたが、齋藤が小学4年生のときにはやめてしまった。その後、県内のサクランボ農家でアルバイトしたことがあり、農業のアットホームな雰囲気に好印象を感じたことはあった。それから農薬と肥料の販売会社に就職する。だが、就職の理由は農業にかかわる仕事がしたいからというものではなく、たまたまだったという。
山形市で営業していた齋藤に、米の里の社員募集の話を持ちかけたのは父だった。実家に帰るきっかけとして話したようだ。
米の里は、神奈川県厚木市で運送業などを多角経営する伊藤亮一が1994年に設立した。出稼ぎ労働者として鶴岡から来る農家が次第に農地の管理に手が回らなくなるのを見て、その農地を買い取り、地域の農家に管理を任せていたのだ。ところが、任せた農家が高齢で管理できなくなり、代わりに耕作してくれるスタッフを急きょ募集することになる。それに応じたのが齋藤だった。
面接の場で、伊藤から冒頭の言葉を掛けられた。

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