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知っておきたい 世界各国の産業用ヘンプ

スペイン 大航海時代から現代へ変革の波を発信し続ける国

大航海時代を支えた農作物

人口4600万人のスペイン。国土面積は日本の約1.3倍で、農地はその53%を占める。大麦や小麦、ブドウ、オリーブなどの生産が盛んな農業国である。近年のヘンプ栽培は低調だが、へンプ製品の利用拡大に長年貢献してきた。
ヘンプに関する最も古い記録は、1150年にムーア人(イスラム教徒)が古代都市バレンシア近郊の欧州初の製紙工場でヘンプ紙を作ったこととされている。バレンシア州の町カジョサ・デ・セグラは、1300年代から世界最大のヘンプ・ロープ、網、糸の生産地として栄え、“ヘンプ都市”と呼ばれた。
15世紀に入ると、地中海貿易の恩恵を受けられなかった同国は、隣国のポルトガルと競うように、船団を組んでアジアやアフリカ等への航海を繰り広げた。1492年に米大陸に到達したことで有名なコロンブスのサンタマリア号をはじめとする当時の帆船には、帆布とロープにヘンプが使われ、甲板の隙間には船の水密性を保つためにヘンプ繊維が敷き詰められていた。中型の帆船1隻につき、60~80tのヘンプ繊維がロープに使われ、6~8tのヘンプ製帆布を毎年張り替えていたという。種子は乗組員にとってはタンパク質に富んだ食べ物であり、発見した土地に植えることも想定していたのだろう。ヘンプ紙に印刷された聖書を持ち込み、船内のランプはヘンプオイルで灯されるなど、外洋の荒波の力と海水に耐久性をもつヘンプなしでは大航海ができなかったといっても過言ではない(図1)。
新大陸発見後、北米・中米・南米大陸やアフリカに植民地を拡大していたスペイン王朝は、1777年から1810年にかけて、領土全域でヘンプ栽培に補助金を支給した。チリやメキシコ、カリフォルニアで栽培が促進され、拡大する需要に応えた。ポルトガルのバスコ・ダ・ガマのインド航路開拓や世界一周を成し遂げたマゼラン艦隊の航行にもヘンプ製品は必須だった。
15世紀半ばから17世紀半ばまでの大航海時代、さらにはその後の大西洋貿易やアジア貿易を支えたのは、ヘンプが万能な農作物だったからである。こうした歴史的事実を物語っているのは、カタルーニャ州都のバルセロナにある高さ60mのコロンブスの記念碑だ。よく見ると、エンブレムの上部に2本のヘンプが飾られている(図2)。

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