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特集

山菜を農産物に

山菜は、世界の人々が野生種に手を加え進化させてきた農作物の、いわば原点。 当たり前のように毎日食べている野菜も、ルーツをたどれば野生植物に行きつく。 しかも山菜栽培化の営みは現在進行形。 いまでも絶えることなく続けられている。 市場に出回る野菜は、山菜が「出世」した姿でもあるのだろう。 今回の特集では、山菜を農作物として世に出した方々に話を聞いた。 何を目指し、どうやって改良してきたのか、そして販売への道筋。 そこからは山菜の底力と可能性もみえてくる。

Part1 ニンニク ギョウジャニンニク ウルイ フキノトウ 美味しく見た目のよい作物に改良4品種を登録 岩手県八幡平市

岩手県八幡平市で、2012~2017年、在来種のニンニクと山菜3種、計4品種が登録された。なぜ野生種を改良し、なぜ品種登録をしたのか。たった一人で4品種を育成した遠藤時弥氏と、品種登録に尽力した髙橋寿一氏に話を聞いた。

【家族で食べるために栽培し探求心から育成】

■ ニンニク
遠藤時弥氏は、なぜ在来種を改良してきたのだろうか。原点は、ニンニクの観察に始まる。幼いころから、植物が好きだった遠藤少年は、家の畑や近くの山野で植物を観察することに没頭していた。あるとき、家の畑で栽培していたニンニクの珠芽(※1)を見ていると、リン芽から出る葉の数が1枚多いものがあることに気づいた。リン芽が地面に落ちると、そこから茎葉が生えてニンニクの球根が育った。
「見ると、ニンニクが大きかったり、小さかったり」
珠芽は、植物体のなかでも細胞分裂が活発な分裂組織であり変異が起こりやすい。遠藤少年は、観察から、珠芽に変異が起こりやすいと知る。
成長した遠藤氏は、1960年ごろからリン芽を植えてニンニクを栽培し、大きく育ったニンニクを選抜していった。いわゆる自然突然変異の選抜法だ。
遠藤氏は、ニンニクの珠芽を手に取り、そのなかに20~30個ぎっしり詰まったリン芽を取り出して見せてくれた。
「これだ、これ。最初の年に100個以上は植えたと思うな」
リン芽を植えると、地上には芽が出て茎葉が伸び、地中には食用になる球根ができる。そのなかから大きく育った球根を選んだ。
「何個選んだかって? どれがいいかって見て、1個だべな」
2年目は、球根のりん片を1個ずつ植えた。りん片とは、球根が分球して5、6個できるニンニクひとかけのことである。3年目、また大きな球根を選んでりん片を植える。4年、5年と繰り返し、より大きなものを選びながら栽培を続けてきた。遠藤氏が、実家から独立していた時期は、姉が栽培を引き継いだ。
時を経て、1996年、選抜して増やしてきたりん片を2aほど植え付け、さらに選抜に力を入れていった。こうして、安定的に在来種より大ぶりな球根に育つ品種が生まれたのである。
「もともと、うちで食べるのにつくった。俺は、切って粕漬けにして食べるのが好きだな」
そのニンニクを販売しはじめ、ホウレンソウとともにニンニクで生計を立てるようになった。

■ ギョウジャニンニク
ギョウジャニンニクとは、ニンニクの香りがするネギ属の多年草で、春に地下茎から伸びてくる茎葉は、古くから北海道で食べられてきた。数十年前からは東北でも食べられるようになっている。
「俺が中学を出た年、樺太から引き揚げてきた人に、こうして食べるんだ、ああして食べるんだって聞いた」
1970年ごろ、遠藤氏は岩手県の北部の各地の山から、200株ほどを採取してきた。選抜して栽培するためである。
ギョウジャニンニクは、種から生育する場合、一冬越えた翌年の春、葉が1枚だけ出る。2年目には葉が2枚、3年目には3枚目が出る。4、5年目ごろから、地下茎からわき芽が出るようになると、食べられるようになる。わき芽からは、葉しょうと呼ばれる茎を包んだ葉の基部が伸び、上部で緑の葉が開く。遠藤氏が美味しいと思うのは、白い葉しょう部のなかでも根元に近いほうだ。

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