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特集

山菜を農産物に


1935年、岩手県八幡平市(旧西根町)生まれ。八幡平市が品種登録した4品種の育成者。水稲とホウレンソウなどの野菜を生産しながら、ニンニクや山菜の品種育成と栽培を手掛ける。現在は高齢のため経営規模を縮小しつつも改良を続けている。経営規模1.4ha。

Part2 サラダウルイ タラの芽 山菜栽培を冬季の経営の柱に 岩手県洋野町

岩手県洋野町で果樹を中心に農業を営む下川原重雄氏は、2013年、「サラダウルイ」の名で、生で食べられるウルイの販売を始めた。1980年代から始めた山菜栽培は、いまや果樹栽培と並んで経営の柱になっている。下川原氏に、山菜を園芸作物として事業に発展させた経緯を聞いた。

【半促成栽培を取り入れ選抜しながらウルイを改良】

洋野町は、青森県境の岩手県最北の沿岸部に位置する。沿岸部の旧種市町では漁業、内陸部の旧大野村では農業が営まれている町だ。北上高地の山間部にあり、夏季に冷たい空気を運んでくる偏東風「やませ」の影響を受けやすいことから、旧大野村では水田よりも畑地が多い。
旧大野村で生まれた下川原氏は、20歳で実家の農業を継ぎ、岩手県葛巻町で山ブドウのワインづくりが始まったのを機に、山ブドウやリンゴの果樹栽培を始めた。いまではジュース加工・販売まで手掛け、地元では山ブドウ栽培の第一人者として知られる。
下川原氏が、山菜の栽培を始めたのは1980年代のことだ。初めに手掛けたのは、山野に自生するタチギボウシ系の通称「里ウルイ」と呼ばれるウルイである。
「この辺じゃ、ウルイは食文化として根付いているから、みんな栽培してる」
下川原氏がみんなと違ったのは、質の良いものを選抜し、半促成栽培を始めたことだ。
ハウスで半促成栽培を始めたのは1990年ごろだった。岩手県内の先進事例を視察した後、それまでの露地栽培から半促成栽培に切り替える。隣近所の人たちに集めてもらったウルイの株を譲り受け、より良い株を選抜して栽培し、産直などで徐々に販売を始めた。半促成栽培と販売以降、さらに選抜に力を入れ、茎が長くて太く、葉の形が揃ったウルイを育成した。
「(根元から)すぐ葉っぱが広がるもの、すっと伸びるもの、茎が細いもの、太いもの、いろいろある。葉っぱが広がって草丈が伸びないものは捨て、太さがあって量が取れるものを選んできました」
栽培方法は、ほぼ自己流である。軟らかく栽培するため、やや遮光率を上げ、淡い黄緑色をした軟らかいウルイを栽培した。

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