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特集

山菜を農産物に


30年以上前から選抜してきた山菜が、下川原氏の冬季の経営の柱に成長し、地域の生産者たちにも広まり、洋野町産の春の味覚として人々の楽しみになっている。
(取材・文/平井ゆか)

下川原重雄氏
(株)下重農園代表取締役。1953年、岩手県洋野町(旧大野村)生まれ。高校卒業後、2年間千葉県で養豚を学び実家の養豚業を継ぐ。その後、リンゴや山ブドウの果樹や野菜の栽培を始め、1980年代に山菜栽培、1989年ジュースの加工業、2016年惣菜・菓子加工業を始める。洋野町山菜栽培研究会会長および山ブドウ栽培の第一人者として洋野町に山菜・山ブドウの栽培を広める。経営規模:山菜・野菜のハウス14棟・露地80a、果樹3.6ha。従業員:夫妻およびパート夏季6人、冬季4人。妻は加工・販売を担当。

Part3 山菜の流通動向この30年 春を告げる“つまもの”から季節野菜へ人工栽培で乗り越える原発事故の影響

小林彰一(流通ジャーナリスト)

需要が拡大して生産量が増え、単価も手頃に周年野菜になることを「野菜に出世する」という。かつては細々と生産されていたものでも「出世」した例は多い。山菜も人工栽培化が進み、「出世」への可能性がふくらんできている。

【古くから培われてきた山菜の文化】

どんなに厳しかった冬の寒さも、もう終わり……。そんなふうに春を告げる山菜がフキノトウだろう。年内から和食でいう“はしり”の食材としての需要はあるが、東京では2~3月上旬に、根雪の残る山間では5月下旬と時期は異なっても、枯草のなかから、あるいは凍土の割れ目から、フキノトウが顔をのぞかせたら、人間を含めて自然界ではすべてが動き出す、という感もある。
一茶の句にも、「草の戸に 春は来にけり 蕗の薹」とある。しかし、早春のほんのひとときでフキノトウの旬は終わる。3月、4月ともなれば、山間部ではギョウジャニンニク、コシアブラ、ウルイ、コゴミ、さらに初夏まで木の芽としてタラの芽、根曲がり竹など山菜類が、豊富なシーズンとなるのだが、やはり春本番といえばワラビであろう。
万葉の時代にも、「石激る 垂水の上の早蕨の 萌え出づる 春になりにけるかも」と詠われた。荒畑や採草地などの陽あたりのよい斜面に、「わらべ(童)の手」に似た草姿が点々と頭をもたげる。春たけなわの風景である。
人々は、春の到来を待ちきれず、山菜を採りに山に入る。はたして、待ちわびたものを得られて喜んだのもつかの間、同時に、風邪をこじらせたり、手足に怪我をする、虫に刺される、冬眠から覚めた蛇にも出会うだろうし、暖をとる焚火の火が思わぬ災厄を引き起こすこともあるかもしれない。

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