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【農業は先進国型産業になった!】
日本ワイン比較優位産業論 現地ルポ 第8回 完全「国産」主義 規模の利益で安価なワイン提供 北海道ワイン㈱(北海道小樽市)
- 評論家 叶芳和
- 第28回 2019年08月30日
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北海道ワインの歴史は、創業当初から地域振興、雇用創出、農家との共存を物語るものである。
先代の嶌村彰禧氏(創業者)は、山梨県出身であるが、1950年代に北海道に渡り、小樽で繊維製品の卸商(会社名「甲州」)を営んでいた。しかし、大企業の既製紳士服が台頭して、取引先の仕立て屋が店をたたみ、その結果、雇用を失った多くの女性作業員が本州の縫製工場に出て行った。そこで、彰禧氏は北海道の雇用基盤を作るべく、最新鋭の技術を備えたオーダーメイド紳士服「神装」を設立、歌志内や浦臼町など道内の過疎地や産炭地に次々と縫製工場を建設し、雇用創出に努めた。
1971年、「神装」の仕事で西ドイツに訪問した際、ワインに出会う。欧州北限産地であるドイツのブドウ品種ならば、寒冷地の北海道に根を下ろすことができるのではないかと直感した。帰国後、浦臼町の町長から「大規模な水田の耕作放棄地がある」と相談を受ける。当時、北海道は離農が止まらない状況であった。そこで、北海道の農業を支えなければならないとの思いから、浦臼町鶴沼に11haの土地を取得し、ブドウ畑開墾に着手した(72年)。専門家からは「寒冷、豪雪の北海道で欧州系ブドウなど作れるわけがない。120%無理」と断じられたそうだ。
75年、ドイツ、オーストリア、ハンガリー等より、20品種6000本の苗木を輸入し、76年、横浜で検疫を終えた苗木を植えたが、重粘土質の土壌が根を阻み、ほとんどが枯れ、生き残ったのは300本。さらに、野生のウサギやネズミによる食害、豪雪被害も重なった。そうした苦難を経て、79年秋、ドイツ品種のミュラートゥルガウが収穫できた。醸造はドイツから助っ人に来てくれたグリュン氏の指導で、日本では一般的だった「火入れ殺菌」を一切行なわず、ブドウの豊かな香りがするワインができた。
80年2月、第1号ワインをリリースした。1900円で3000本。81年、東京新宿の酒場では「外国の高級ワイン以外で逸品が現れた」と話題になったそうだ。
会社最大の危機となった
赤ワインブーム
1997~98年、日本は赤ワインブームになった。ポリフェノールが健康に良いとされ、赤ワインが飛ぶように売れた。しかし、北海道ワインは冷涼な北海道に立地しており、ブドウ品種は白ワイン用が主体であった。他の国内ワインメーカーは輸入の安価な濃縮果汁を使った赤ワインや、輸入バルクワインを瓶詰めした赤ワインを増産した。
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叶芳和 カノウヨシカズ
評論家
1943年、鹿児島県奄美大島生まれ。一橋大学大学院経済学研究科 博士課程修了。元・財団法人国民経済研究協会理事長。拓殖大学 国際開発学部教授、帝京平成大学現代ライフ学部教授を経て2012年から現職。主な著書は『農業・先進国型産業論』(日本経済新聞社1982年)、『赤い資本主義・中国』(東洋経済新報社1993年)、『走るアジア送れる日本』(日本評論社2003年)など。
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