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新・農業経営者ルポ

本物を追求する称号なき生ハムマイスター


「本物の生ハムをつくりたい」
渡邉は、幼いころから養豚業を見て育った。農業高校時代には豚を1頭与えられ、ゼロから肥育する術を学ぶ。養豚業が薄利なことを疑問に思っていたなかで、ある教師から「放牧」の話を聞いたことが、後に放牧を始めた背景にある。
1987年、高校を卒業した渡邉は地元の農協に勤めた。ちょうど、きたやつハムの前身の佐久浅間農協特産センターハム工場が開設されたころである。当時、八千穂村(現佐久穂町)の豚は、東京の立川市場の品評会に出せば優秀な成績を収めるほど認められていた。規制緩和によってハムやソーセージをつくる認可が下りやすくなったことから、地域の豚をハムやソーセージの加工をしようとした農協が地域の期待を背負って建てた工場だった。
そんななか就職した渡邉は、翌年、群馬県にある日本食肉学校に1年間通わせてもらうことになった。そこでは、精肉や加工肉などに肉を切り分け処理する技術を磨く。肉を見極める力はこのとき備わった。
「このころから、いつか本場ドイツのような本物の生ハムやサラミをつくりたいと思うようになった」
91年、渡邉は意外な行動に出る。東京のフレンチレストランに就職したのである。理由は、生ハムなど加工肉づくりのためだというから驚きだ。
「まず、客が食べるときの反応を知りたいと思った」
レストランでは、客が来る時間から逆算して食材を準備し料理したものが、いちばん美味しい状態でテーブルに皿が置かれる。きたやつハムのウェブサイトには、「ハムは真ん中から切り分けて食べる」「ウインナーはお湯が沸騰したら火を消して茹でる」など、美味しい食べ方がこと細かに書いてある。
「客が食べるまで責任があると思うから」
この考え方が、最終商品から逆算して加工、放牧、餌を考えるという現在の姿勢にも貫かれている。
フレンチやイタリアンのレストランで5年ほど修業すると、1996年、今度は国内の畜産業の本場、北海道に移る。帯広市にあるレストランの厨房で働きながら、ドイツ料理と生ハム、サラミを勉強させてもらった。ここで出会った人々は渡邉の力になる。北海道を拠点に、ドイツ、フランス、イタリアなどに飛び、北海道の人々に紹介してもらった先をまわった。デリカテッセンを手伝ったり、加工の現場を見せてもらったり、現地のものを食べたりしながら本場の技術を学び続けた。
長年の修業を終え、地元に戻ると、農協の統廃合が進むなかでハムセンターの立場はどんどん弱くなっていった。

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