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農業は先進国型産業になった!

日本ワイン比較優位産業論 現地ルポ 第11回 地球温暖化追い風に技術革新 桔梗ヶ丘メルローの先駆者 (株)林農園五一わいん(長野県塩尻市)

近く、長野県は全国一のワイン産地に発展しそうだ。ワイナリーの新規参入が相次ぎ、早くも、販路の限界から淘汰を心配するくらいの急成長だ。塩尻桔梗ヶ原の事例で見ると、ワイン産地の発展史は気候変動と技術進歩の影響が大きいのに驚かされる。

1 不毛の荒野から繁栄の地へ――塩尻桔梗ヶ原のワイン地誌

塩尻は駅から歩いて行ける位置にワイナリーが展開している。この状況が桔梗ヶ原のすべてを物語っている。ブドウは水はけの良い土地を好むので、山裾や丘陵地帯の傾斜地(耕作放棄予備軍)にあるのが普通だ。塩尻は鉄道が走る平坦地であるにもかかわらず、ブドウ適地ということは、水のない土地、昔は「不毛の地」だったことを推論させる。
実際、明治期になるまで、桔梗ヶ原は水に乏しい土地で、農耕に適さない場所として原野のまま放置されていた。周辺集落の入会の草刈場として利用されていた。開拓が本格化したのは明治20年代である。それまでは不毛の荒野であった。
しかし、現代、塩尻市は地方都市でありながら、“人口減”の現象が見られない。筆者が一番驚いたのはこの点だ。高度経済成長の起点1960年の3万8500人から、90年5万7300人、2015年6万7100人へ増加した(注:最近10年は年率0.1~0.2%弱の緩やかな減少)。人口増加は、昭和電工(セラミックス製品)やセイコーエプソン(プリンター等)の工場立地の効果が大きい。しかし、農業発展の貢献も大きい。レタスなど高原野菜の産地であり、高所得農業が栄えている。さらに果樹、ブドウ栽培・ワイン醸造も盛んだ。今後、ワインツーリズムが交流人口の増加に寄与しそうだ(ただし、東京からの観光客は山梨勝沼にブロックされ制約があろう)。
桔梗ヶ原は、不毛の荒野から、繁栄の地に変わっている。人口減少局面の日本にあって、地方都市でありながら大きな人口減がないのが、その証左であろう。

桔梗ヶ原ワインの歴史
塩尻のワインの歴史は古い。桔梗ヶ原は塩尻市北西の扇状地にあり、標高700mの台地である。水に乏しい土地で、川は一筋もなく、地下水位は低く、江戸時代は荒野であったが、明治初期、井戸を掘って水を得ることに成功、開墾が始まった。明治20年代になると入植者が増加し、開墾が加速した。今から約130年前の1890年(明治23年)、里山辺村(現松本市)から入植した豊島が1haの土地にコンコードなど26品種のブドウ約3000本を植え(これが当地におけるブドウ栽培の始まり)、その7年後、1897年(明治30年)にワイン醸造が始まった。

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