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新・農業経営者ルポ

一切妥協なしの建設会社による農業

建設業を柱とする愛亀グループは、建設業の農業参入が流行るより前の2000年に農業生産法人(有)あぐりを立ち上げた。自ら農地を買い、法人を作ったのがグループ代表の西山周だ。その懐刀として無農薬・無化学肥料の栽培方法を確立し、販路を切り拓き、事業を広げていったのがグループ営業戦略本部長の大森孝宗になる。エビデンスに基づいた土づくりで良食味のコメを生産したいと、土壌診断システムを使った精密農業を13年続けてきた。 文・写真/窪田新之助、山口亮子、写真提供/(有)あぐり

建設業の農業参入の先駆け

愛媛県松前町の中心市街から車で5分少々走ったところに愛亀の松山事業本部がある。巨大なアスファルトプラントがそびえ、大型ダンプが行き交う中を、制服にヘルメットを被った社員たちがキビキビと動き回っている。ザ・建設業の雰囲気に圧倒されてしまった。事務所と思しき建物に向かいながら、取材で指定された場所は本当にここだったろうかと不安になる。入口に緑色の「農業生産法人あぐり」と書かれたロゴマークを見つけ、ほっと胸をなでおろした。
愛亀グループは1957年、松前町で舗装業者として創業し、事業を拡大してきた。建設会社の(株)愛亀を中核に、海外も含め12のグループ企業を持つ。県内では舗装工事の大手として知られる。
建設業の農業進出が全国的に進んだのは2005年以降になる。改正農業経営基盤強化促進法により、農業生産法人以外でも農業参入が全国的に可能になってからのことだ。03年に構造改革特区で一般企業やNPO法人が農地を借りて農業参入することが可能になり、特区内では建設業の農業進出が続いた。だが、愛亀グループの参入はそれをさらにさかのぼる。
農地を取得し、00年に農業生産法人(有)あぐりを立ち上げた。一般企業の農地賃借が認められる前だったため、代表の西山周自ら農地を購入している。
「買(こ)うてと言われたから」
西山はひょうひょうとこう話す。その実、農業参入には大きな狙いがあった。「建設技能力の温存」だ。国の建設投資は92年にピークに達し、以降右肩下がりになる。同社でも90年代後半に公共事業の激減を痛切に感じるようになる。だが、事業を縮小する考えは毛頭なかった。
「地域建設会社のDNAを持つ者として、雇用や地域とのつながりを無視するような単純な縮小均衡には経営の舵を切りたくなかった。地方の建設会社は技術職と技能職の両方を抱えている。我々はそこに強みを持っていたから、それを維持するために何をしようかと考えた」
舗装の現場でも働けるし、農業もできるという社員の「多能化」も狙った。当時、道路舗装工事は4月から秋口まで比較的仕事がすいていた。そこで、ちょうどこの時期にできる稲作に目を付けたのだ。わずか5枚の田んぼからのスタートだった。

わからないことを調べる研究の日々

まだ珍しかった建設業の農業参入に、周囲の反応は総じて冷淡だった。本気なのか疑われもした。それでも決意は揺らがなかった。
同グループは85年に建設リサイクル業を営む子会社を設立しており、その際にも周囲からは冷ややかな目で見られたという。公共事業が右肩上がりを続ける景気の良い時代にそんな事業を始めるとはと思われたのだ。ところが00年以降、建設リサイクル法が順次施行され、先見の明が実証されたのだった。だから、農業参入に対する周囲の反応は、奮起する理由にこそなれ、参入を考え直す理由にはなり得なかった。

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