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イベントレポート

世界のトウガラシ村で日本人が特別表彰

東京・新宿の映画館「シネマカリテ」で2019年12月上旬、華々しいイベントが開催された。内藤とうがらしによる地域開発のリーダーとして活動してきた成田重行さん(77)が同年10月末、トウガラシの本場ともいえるフランス南西部のバスク地方にあるエスプレット村の収穫祭で、その功績により外国人としては初めて騎士の称号を授与。
同行した大学生らとともに同館で関係者に報告した。

江戸中期に新宿で広まったトウガラシの栽培

内藤とうがらしは本誌の読者なら覚えているだろう。この八房系トウガラシは名前の通りに房なりするほか、いまではメジャーとなった「鷹の爪」系に対し、辛みが弱くてうまみを感じるのが特徴である。
八房系のトウガラシの栽培が新宿で始まったのは江戸中期の内藤家下屋敷(現在の新宿御苑)。以後、新宿中でこのトウガラシが作られる。それは次のような理由から。江戸は人口の大半が男性。侍や職人などの単身者が多く、彼らは自炊するよりも屋台で飯を食うことを日常としていた。とりわけ手軽に食える蕎麦屋がはやった。そして蕎麦の薬味として提供されたのが七味トウガラシだったのだ。
ただ、栽培は長くは続かなかった。新宿が宿場町として繁栄するに従って、甲州街道や青梅街道の並びには問屋や流通業などが出現して宅地化が進み、次第に農地は消えていった。拍車をかけるように、八房系よりも辛みがずっと強い鷹の爪系が登場した。その刺激にひかれた農家は八房系に代わって鷹の爪系を作るようになったのだ。いつしか八房系は忘れられた存在となった。

内藤とうがらしプロジェクト

成田さんがその八房系を現代によみがえらせようと思ったのは、新宿という町に“顔”がなくなってきているから。駅を降りればどこにでもあるような商業施設が立ち並び、新宿らしさが薄れてきている。それは新宿の老舗企業も同じような寂しさを感じていた。

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