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【イベントレポート】
世界のトウガラシ村で日本人が特別表彰
- 農業ビジネス記者 窪田新之助
- 2019年12月23日
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同行した大学生らとともに同館で関係者に報告した。
内藤とうがらしは本誌の読者なら覚えているだろう。この八房系トウガラシは名前の通りに房なりするほか、いまではメジャーとなった「鷹の爪」系に対し、辛みが弱くてうまみを感じるのが特徴である。
八房系のトウガラシの栽培が新宿で始まったのは江戸中期の内藤家下屋敷(現在の新宿御苑)。以後、新宿中でこのトウガラシが作られる。それは次のような理由から。江戸は人口の大半が男性。侍や職人などの単身者が多く、彼らは自炊するよりも屋台で飯を食うことを日常としていた。とりわけ手軽に食える蕎麦屋がはやった。そして蕎麦の薬味として提供されたのが七味トウガラシだったのだ。
ただ、栽培は長くは続かなかった。新宿が宿場町として繁栄するに従って、甲州街道や青梅街道の並びには問屋や流通業などが出現して宅地化が進み、次第に農地は消えていった。拍車をかけるように、八房系よりも辛みがずっと強い鷹の爪系が登場した。その刺激にひかれた農家は八房系に代わって鷹の爪系を作るようになったのだ。いつしか八房系は忘れられた存在となった。
成田さんがその八房系を現代によみがえらせようと思ったのは、新宿という町に“顔”がなくなってきているから。駅を降りればどこにでもあるような商業施設が立ち並び、新宿らしさが薄れてきている。それは新宿の老舗企業も同じような寂しさを感じていた。
江戸中期に新宿で広まったトウガラシの栽培
内藤とうがらしは本誌の読者なら覚えているだろう。この八房系トウガラシは名前の通りに房なりするほか、いまではメジャーとなった「鷹の爪」系に対し、辛みが弱くてうまみを感じるのが特徴である。
八房系のトウガラシの栽培が新宿で始まったのは江戸中期の内藤家下屋敷(現在の新宿御苑)。以後、新宿中でこのトウガラシが作られる。それは次のような理由から。江戸は人口の大半が男性。侍や職人などの単身者が多く、彼らは自炊するよりも屋台で飯を食うことを日常としていた。とりわけ手軽に食える蕎麦屋がはやった。そして蕎麦の薬味として提供されたのが七味トウガラシだったのだ。
ただ、栽培は長くは続かなかった。新宿が宿場町として繁栄するに従って、甲州街道や青梅街道の並びには問屋や流通業などが出現して宅地化が進み、次第に農地は消えていった。拍車をかけるように、八房系よりも辛みがずっと強い鷹の爪系が登場した。その刺激にひかれた農家は八房系に代わって鷹の爪系を作るようになったのだ。いつしか八房系は忘れられた存在となった。
内藤とうがらしプロジェクト
成田さんがその八房系を現代によみがえらせようと思ったのは、新宿という町に“顔”がなくなってきているから。駅を降りればどこにでもあるような商業施設が立ち並び、新宿らしさが薄れてきている。それは新宿の老舗企業も同じような寂しさを感じていた。
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窪田新之助 クボタシンノスケ
農業ビジネス記者
福岡・小倉生まれ。大学卒業後、2004年に株式会社・日本農業新聞入社。営農問題を中心に全国を取材し、2012年3月退社。 現在、フリーランスで農業問題について取材を続ける。「農業ビジネス」内のニュースサイト「農業ウォッチ」を担当。農業生産現場でのニュースだけでなく、農業経営者や産地が抱える問題について随時情報を募集中。 電話090(6537)4416、またはメールshinkubo1207@yahoo.co.jpまで。
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