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イベントレポート

世界のトウガラシ村で日本人が特別表彰



産業と文化の両立

成田さんにとってもう一つ印象的だったのは、収穫祭の儀式を取り仕切るのが教会だったこと。近隣の村々含めて一部の住民は正装をして教会に集い、収穫を祝う儀式に参加する。
「日本でも神社で住民が祭りをするでしょう。それと同じことなんですね」
産業と文化の両立。それを行政が財政的に支援しているという。こうした組織の連携構造が長きに渡ってトウガラシ村として栄えてきた礎だと感じたという。
それは内藤とうがらしで地域開発を進める成田さんにとって再確認となる見聞だった。内藤とうがらしの売り先は十分にある。経済としては成長してきている。ただ、文化としてはどうか。あるいは行政の支援は十分なのか。これら三つが融合しない限り、内藤とうがらしはバスク地方のトウガラシのようには末永く持続していかない。そんなことを確認した遠征だったという。

ザビエルはトウガラシを持ってきたのか?

今回の遠征で持ち帰った課題として、「内藤とうがらし」と「ピマン・エスプレット」を比較しながら、検証することがある。生産や販売、観光や文化など19の課題を設定。エスプレット村の活動を参考にして「内藤とうがらしプロジェクト」に取り入れるのか、あるいは条件が違う等の理由で取り入れないのかを関係者と検証する。
もう一つ検証したいのは16世紀の宣教師フランシスコ・ザビエルが日本に布教で訪れた際、トウガラシを持ってきたのではないか、ということ。定説ではポルトガル人の宣教師が16世紀に運んできたことになっている。成田さんは今回の遠征のもう一つの目的として、司馬遼太郎著『街道をゆく』(22、南蛮のみち)で司馬と同じルートを行くことがあった。そのルートはバスク人であるフランシスコ・ザビエルの足跡をたどるものである。今回それを叶え、いくつかの点からフランシスコ・ザビエルが日本にトウガラシを持ってきた可能性もあるのではないかと考えるようになった。いずれ検証が進んだ段階で、機会があればその詳細を紹介したい。 (窪田新之助)

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