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イベントレポート

農村経営研究会 2019年第2回視察会

農村経営研究会は2019年11月20日、福島県浜通りで農業と新エネルギー事業を営む合同会社みさき未来を視察した。みさき未来は、もともと南相馬市で農業を営んでいた三浦家が東日本大震災後に立ち上げた会社である。以来、地震と津波、福島第一原発事故で被害を受けた南相馬市井田川地区で農業を再興することを目指している。
現在、福島県浜通りの最北の新地町に居を構え、息子の三浦草平氏氏(33)がみさき未来の代表としてコメや有機野菜、平飼いによる鶏卵の生産を手掛け、JGAPの取得もしている。新地町の南隣にある相馬市では、父の三浦広志氏(60)が農事法人組合とNPO法人野馬土(のまど)を運営しながら、地域の農産物の発信やコミュニティづくりにも尽力している。さらに相馬市の南隣の南相馬市にも拠点を置き、綿花や野菜を生産しながら、井田川地区の水田基盤整備に向けて活動しているところだ。
2016年、南相馬市全域の避難指示が解除され、2021年から基盤整備が始まる。広志氏はその立役者でもある。三浦親子はどうやって農業再興への道を切り開いてきたのだろうか。現地を視察しながら2人の話を聞いた。

農業再興ができる仕組みをつくる

震災前、三浦家は5haの水田と畑で農業を営みながら、浜通りに組合員を持つ農事法人組合を経営していた。東日本大震災が起きたとき、原発の知識があった広志氏は最悪のケースを想定し家族を連れ東京に避難した。しかし、その年のうちに福島に戻る。広志氏は組合員を放っておけないと思い、草平氏は福島で農業をやりたいと思ったからだ。一家は南相馬市に戻ると、12年に約40 km北にある新地町に農地と宅地を見つけ農業を再開した。
初年度の稲作は、仮設住宅で暮らしながらそこで浸種し、新地町の農地に建てたビニールハウスで苗を育てるなど、厳しい条件下でできる方法を考えながら乗り切った。新地町の農業経営は草平氏が中心になって進めながら、広志氏は、相馬市に農事法人組合の拠点を置き、組合員がいる相馬市と新地町に南相馬市の仮設住宅から通い、地域の農業再興の活動を始めた。
浜通りの水田は津波で水路が被害を受け、表土が削られ、がれきが残り、雑草も生え荒れていた。再興の活動をするために国が出した条件は、共同作業をすることと実際に働いた人にお金が落ちることだった。水路の再興のためには水系ごとに作業するのが効率的だが、行政や農協はそれでは範囲が広すぎてできないと言う。
「いや、できる仕組みにしよう」

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