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イベントレポート

農村経営研究会 2019年第2回視察会


広志氏は、グループをつくり、自分たちの水田でがれきの片づけや草刈りをしたら農業で得られる収入と同じ収入が得られるようにしようと行政に提案した。そうすれば国の条件を満たしつつ、生産者の失業対策にもなり、自分の農地なので水路などの問題も把握しやすく再興が早まるというわけだ。この仕組みは、相馬市と新地町が3年ほどで農業がほぼ再興できた理由のひとつでもある。
当時、広志氏が不安だったのは自分たちがつくる米の安全性だった。当初、福島県ではサンプル検査をしていたが、安全宣言の後に基準値を超える放射性物質が検出されると、ますます農産物が売れなくなった。広志氏は、福島県に全量全袋検査をすることを働きかけた。
「全袋チェックをしてもすぐに買ってもらえるわけではないが、対策しながら何年間かデータが蓄積されたりすれば、自分たちが自信をもって売れるようになる。プライドを持って農業ができる仕組みをつくろうと思った」
こうして12年度産から全量全袋検査が始まった。「言い出しっぺ」ということで広志氏は福島県から検査を受託し、NPO野馬土(のまど)が運営する農産物直売所でコメや野菜、果物の検査をすることになった。

外部の力を農業に活かす方法を考える

13年に福島県が地権者を集めたとき、広志氏はじつは「(干拓地なので)海に戻してくれ」と言ったという。しかし、すでに農業再興のために資金を投じていた福島県は、農地に戻すしか選択肢がなかった。福島県が外部から事業者を募ってみたものの肝心な担い手がいない。16年に避難指示が解除されると、地権者たちで相談することになった。
水田再興のためには基盤整備が必要だ。行政の支援だけでは不足している資金を補うために活用しようと広志氏が注目したのは、当時あちこちから話が舞い込んできた新エネルギー事業を活用することである。
「自然エネルギーと関われば、ここで農業をベースとした再興ができると思った」
当初、企業が風力発電事業を始めたが、風が弱いため撤退した。替わって話が出たのが太陽光発電事業である。現在、南相馬市井田川地区でも50haで27メガワットの設備を建築中だ。初期投資はファンド会社の支援によるものである。広志氏は、その売電収入で基盤整備の資金の不足分を補おうとファンド会社に提案した。台風の影響で延期されたが、20年4月から売電が始まる予定だ。
こうして基盤整備は資金の目途もつき、地域の人々や行政との話し合いを重ねてきた結果、21年から工事が始まることに決まった。1区画2ha、115haの水田に再興される予定だ。22年からは地権者たちに供与され、みさき未来と広志氏、5人グループの集落が担い手となる。

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