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新・農業経営者ルポ

日本一安いネギを作る


「人が入れ替わると、難しい作業はすぐにできるようにはならない。作業を単純・単調にし、露地野菜だけれども工場のような生産方式に近づける」
ただ、ベトナムの経済発展と、日本以外の国の賃金上昇で、日本の優先順位が年々下がっていると感じている。数年前に比べると、希望者の年齢が上がってきたという。人手確保のための新たな手は常に考えており、今後、フィリピンの大学と提携し、インターンの学生を受け入れたいと準備を進めている。

雪害きっかけに県外進出

本誌に04年に登場した直後、宮川は人生を大きく変える体験をした。04、05年と日本海側から台風が立て続けに来襲。カボチャや大豆の葉が塩害で枯れてしまった。悪いことは重なるもので、農場のシンボルマーク的な存在である連棟ハウスが雪害を受けた。
「連棟ハウスだと、雪が落ちるところがないじゃない。『この雪国で、やめた方がいい』とずっと言われながらやってきた。05年のクリスマスから06年の正月が大変な大雪で、そこの連棟ハウスをつぶしてしまった」
その時決意したのが「雪のないところに行こう」ということだった。
「東京に向かって新幹線で2時間も走れば、お天道様が出て、青空が広がっている。関東だと、日中暑くてハウスを開けて温度を下げないといけない。そんな時にこっちは寒くて油たいてさ。だったら、秋田から出ていけばいいんじゃないって」
すぐさま行動に移し、06年8月に茨城県つくば市に農場を設けた。同年4月に入社したばかりの若手を農場長として現地に送り込み、ベビーリーフを生産。7年ほど経ったところで別会社として独立させた。この会社は、5年ほど前に現地の農業法人に吸収される形で合併した。
秋田県内でも遠隔地に農地が増えた。南は秋田市、北は白神山地に近い大館市と藤里町まで。最も遠い農場は村から70kmほど距離がある。平場から山間地まで、全体で80haほどになる。
「農業って、自分がたまたま生まれたところに家と農地があって、その中でいかに最大値を引き出そうかとやっていく。けれども、今のように農地が貸し借りできて、耕作放棄地が大量に出てくると、自分の居場所というか行動範囲は広がる。前はせいぜい隣の人が空いたからちょっと広げようという程度だったのが、もっと範囲が大きくなってきている」
「土地に縛られない」と掲げてきた宮川が本領発揮できる環境が、時代の変化とともに整ってきた。

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