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北海道長沼発ヒール・ミヤイの憎まれ口通信

1941年の世界地図にはアメリカ本土がない!?(宮井能雅)


では、当時の日本軍はもっと西に進軍したのか。42年には日本軍はアメリカ本土攻撃を行なった。オイオイ本当かよ、って話だ。
有名なアメリカ本土攻撃は、海軍の藤田信雄飛行兵曹長と奥田兵長が潜水艦から浮上して組み立てられた零式小型水上機(零式、ゼロ戦ではない)からオレゴン州に焼夷弾を2発落とした。戦後、彼が爆弾を落とした町からウエルカム状態で迎え入れられた。日本が真剣に徹底的にアメリカと戦い、チキン野郎扱いされなかったことに感謝だ。
極めの攻撃ターゲットはロサンゼルス北のサンタバーバラの石油基地や船舶になる。15年前にこのサンタバーバラのピアのイタリア・レストランで食べたパスタは絶品だった。
ウエイターに、トマトベースで海鮮物があってアルデンテみたいなパスタはあるかな?と聞いた。ウエイターは「たぶん作れると思います」となった。彼は確認のためキッチンに行き戻って来てこう言った。「アルデンテにしてくれなんて、アメリカに来て初めてだ」と。シェフはどうやら本場イタリアから来たと言っていた。確かにオリーブガーデン、レッドロブスター、アップルビーで食べるパスタは中折れべろべろふんにゃチーノ系ばかりだ。もちろん美味しかったし、サービスが良かったのでチップは多めに置いた。
そう言えばスピルバーグの映画に三船敏郎主演でこの攻撃をヒントに作られた『1941』はスーパーB級の誉れが付く作品だ。その日本軍が攻撃したサンタバーバラから東に車で1時間半のところにキャマレロ飛行場があり、サンタバーバラ攻撃でこの飛行場が拡張されたと聞いたことがある。このキャマレロ飛行場にはロサンゼルスから5回ほど飛行したことがあり、その飛行場のイタリア人飛行学校の校長はボケ、カス、ペテン師野郎だった。その辺のことは次回にでも書こう。

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