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新・農業経営者ルポ

「自分ごと」という他者との農業の楽しみ方


やはり自分ごとを感じてもらう工夫をしているのが、村と隣接する潟上市の佐藤徳太郎商店と商品化した「こがね生姜」。八郎潟と村の歴史が詰まった一品だ。八郎潟はかつて汽水湖で、魚やシジミが豊富だった。そのため、周辺地域に佃煮屋が多かった。ところが、干拓後は海との間の水門が閉ざされ、海水の流入がなくなって淡水湖となる。魚種は減り、シジミはいなくなってしまった。
シジミの佃煮を復活したいという思いを代替わりしても持ち続けた同店が、シジミの佃煮に欠かせないショウガだけでも佃煮にできないかと考え、松橋に声をかけて商品化した。八郎潟の恩恵を受けてきた佃煮屋が、かつて八郎潟だった村で育った野菜を使う――。この場所でしか作れない商品が誕生した。今後、畑の佃煮シリーズと題して後続商品を出す予定で、いくつかの野菜を使って試作中だ。
「佃煮屋と八郎潟の関係は一度分断されてしまった。その関係をもう一回紡ぎ直したいと思っています」
ショウガの生育状況など、畑の情報を同店がインスタグラムなどで発信する。今年は500kg弱の収穫量だったが、将来的には何倍にも量を増やしてほしいと言われている。このように商品開発の段階から関わるような強い関係を作り、一定価格での取引ができるような連携先を増やしたいと考えている。
面積でみると、農醸用の酒米は80aほど、ジャガイモが10a、タマネギが5a、ショウガが5aで、農醸、コロッケの道、こがね生姜に関わる面積は計1haほどになる。その経営へのプラスの波及効果は大きい。農家がつくる日本酒プロジェクトのメンバーからコメや野菜の注文が入る。「自分ごと」を中心に据えて以降、売り上げが増えた。松橋の就農前と比べ、おそらく2、3割増だという。販売する品目が増え、定価が付けられるようになり、顧客も定着してきたからだ。

大学で農業の魅力に気づく

農業を語り出したら止まらない松橋だけれども、実はもともと家業を継ぐつもりはなかった。
「小さいころの農業に対する思いはニュートラル。ポジティブでもネガティブでもなく……。ややポジティブだったかなとは思います」
そんな思いを抱えたまま高校卒業後に入学したのは早稲田大学。ここで家業を継ぐことへの気持ち、さらにはいまの農業のスタイルの萌芽が生まれる。所属していたボート部の合宿に実家で作ったコメを持参。炊飯して部員に食べさせると、「美味しい」と感嘆の声が挙がった。部員たちが喜ぶその様子を撮影して実家の両親に送ると、二人はこれまた喜んでくれた。この時、松橋の心もじんわりと温かくなった。

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