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新・農業経営者ルポ

「自分ごと」という他者との農業の楽しみ方


「食べ物を通して、互いにうれしい気持ちを伝えたり、幸せになれるんだとしたら、農業って素晴らしい仕事なんだと思いました」
社会科教師を目指し、教育学部に所属していた。しかし、この体験をきっかけに就農したいと思うようになる。大学在学中に農業系のフリーペーパーの編集にインターンとして関わり、農業関連の会社を取材した。
4年生の時、休学してヨーロッパの農村を旅した。バックパックを背負い、各地で農家にホームステイし、作業を手伝いながら「遊学」したのだ。
イタリアの有機農業の先駆者の下でインターンをした。有機栽培の小麦で作ったパスタを世界に輸出し、600人の村に40人の雇用を生んでいた。オーストリアの小さな村では初めてニワトリを自分で絞め、農業政策を議論した。山岳地帯のたった8人の集落で、自ら絞めた動物しか食べない生活を目の当たりにした。
各地の農家の日常に飛び込み、農業の多様な在り方を目にした後、卒業したら農家になろうと決めた。遊学する前は、卒業したら大学院に進もうか、あるいは一般企業で勉強しようかとも考えていた。将来農家になるけれども、まだそのタイミングではないのではないか――。そう思い悩む気持ちがふっ切れた。

就農後数年で挫折も

2010年に大学を卒業後、北海道美唄市でアスパラガスを6ha栽培する農家で1シーズン研修を受けた。翌11年、大潟村に戻る。それまで野菜の生産が自家用に毛が生えた程度だったのを、本格的に生産販売するようにした。品目を増やし、特にアスパラガスに力を入れ、25aの畑に植えた。
もちろん、松橋ファームの売り上げの柱は21haにもなるコメだ。だが、コメだけではなく野菜も注力することで、新しい顧客を開拓し、かつ既存の顧客の満足度も上げたいと考えた。相場に左右されやすいコメとは違う自分で値決めできる部分を、持っておきたいのも理由の一つだった。その後、アスパラガス畑で農薬を使うタイミングを誤り、病気や雑草が増えたため、露地栽培をやめた。初期投資を回収しないうちに生産ができなくなったのは痛手だった。今はハウス内で5aに絞り、病気がまん延した反省から、夏に収穫を終えた後、病気の殺菌をする。雑草はすべて手で取り除く。
農家と消費者が連携し、前払いによる農産物の契約を通じて相互に支え合う仕組みCSA(Community Supported Agriculture/地域支援型農業)を始めた。今後の新しい農業の在り方の一つになり得るのではと期待したからだ。大学時代に出会った関東の知り合いを中心に野菜やコメのセットを定期的に送るようになった。

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