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北海道長沼発ヒール・ミヤイの憎まれ口通信

死の宣告をされたことありますか?

あなたは死を宣告されたことはありますか? 2003年10月21日、札幌市南1条病院、現在の南3条病院の診察室で医師から告げられた。
「現在のこの状況は5年で50%、10年で10%です」
私は突然の訳のわからない数字に理解ができなかった。私は担当医に聞いた。
「先生、どういう意味ですか?」
担当医は私から目線をずらして、モニターに映りだされた画像を見ながら答えた。
「生存率です」
02年11月に中国広東省で急速に呼吸障害を示すSARSなるものが発症し、翌03年7月までに32カ国で死者数774名にのぼったが、日本では発病例がなかったとされる。タイミングはドンピシャだった。そのような状況でも私は、当時の多くの日本人と同じく「俺には関係ないな」と思った。

アメリカ滞在中に発症!?

03年2月5日、世は札幌の雪まつりで大盛り上がりのなか、私は成田からデルタでロサンゼルスに到着した。その後、ラスベガスに向かい、MGMグランドで食事をした。同行したのは、家族と農家のオヤジたちで、大不況政策によって作られたフーバーダムの水力を使ったネオン輝く偽りの時間を楽しんだ。
その後、11人乗りの大型バンを4時間運転して、カリフォルニアのジョシュアツリーという町を目指した。そこには子供たちがグランパ、グランマと呼ぶ日系2世が住んでいた。町といっても郊外で、周りは砂漠だ。風邪が強いと西部劇でおなじみのオカヒジキ属ヒユ科の植物がコロコロ回るタンブルウィードを見ることができるワイルド満載の土地だ。

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