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新・農業経営者ルポ

福島県浜通りの未来を切り拓く

東日本大震災の混乱が続く2014年、福島県浜通りにひとつの会社が誕生した。農業と新エネルギー事業を営む合同会社みさき未来である。三浦広志(60)と息子の草平(33)が南相馬市井田川地区の水田を再興しようと立ち上げた会社だ。震災から10年目となる21年から基盤整備の工事が始まる。震災直後、誰もが先行きの不安で混乱するなか、三浦親子は浜通りで農業再興の先陣を切り、“できる姿”を見せながら未来を開拓してきた。 文・写真/平井ゆか
19年秋、南相馬市井田川地区を訪ねた。福島県の浜通り、常磐自動車道を浪江ICで降りて太平洋方面へ向かう。新しい住宅が並ぶ市街地を抜けると、民家もまばらになって空き地のような場所が目立つ。途中まで迎えに来た草平に付いていくと海辺の開けた場所に出た。一見荒れ地に見える農地には、かすかに水田の畔の面影が残っており、その一角には太陽光発電のパネルが光っている。向かいには辺り一帯を見渡すように1軒のトレーラーハウスが建っている。草平の車が停まった。ここがみさき未来の事務所だそうだ。倉庫や農機も見え、農業の営みの風景に思わずほっとする。
この辺りは、もともと三浦家が住み、農業を営んでいた場所だ。震災後は40kmほど離れた新地町に移住している。トレーラーハウスを建てたのは、農作業の休憩場所が必要だったという事情もあるが、「ここで水田再興を目指し、農業を営んでいることを見せる」ためでもあるという。
21年、ついにこの南相馬市井田川地区で水田基盤整備が始まる。トレーラーハウスの事務所で、広志と草平の親子にこれまでの経緯を聞いた。

福島で農業をやる

現在、三浦家は浜通りに3つの拠点を構えている。北から順に新地町、相馬市、南相馬市。震災後に一家で移り住んだ新地町には、息子の草平が代表を務めるみさき未来の本拠地があり、水稲や野菜、養鶏を営んでいる。相馬市には、父の広志が代表理事を務める出荷組合の浜通り農産物供給センターと組合が運営する農産物直売所がある。浜通りの農業の復興を目指すNPO法人が運営する交流施設も併設している。そして、震災前に農業を営んでいた南相馬市井田川地区では、トレーラーハウスの事務所を拠点に、水田再興と太陽光発電事業に取り組んでいる。また、親子で綿花や野菜の栽培も手がけている。
さかのぼること9年前、三浦家は南相馬市井田川地区で暮らし、5haの水田と畑で農業を営んでいた。第一原発から20km圏内にある。11年3月、地震と津波、福島第一原発事故による被害に遭った。
「それで人生が変わっちゃった」(広志)
当時、自宅からごく近い場所に新たに原発が建設される予定だった。事故の前から原発のリスクを勉強していた広志は、事故が発生するとすぐに家族を連れて東京に避難した。3月24日、農水省を訪ねて状況を聞くと、自分が想定していた最悪のケースは免れたと知る。
「戻る気になれば、戻れると思った」

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