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新・農業経営者ルポ

福島県浜通りの未来を切り拓く


「できないなら、できる仕組みにしよう。農業者がグループをつくり、自分たちの水田でがれきを拾ったり草刈りをしたりしたら、耕作面積に応じてお金が支払われる仕組みにしよう。そうすれば2つの条件を満たすのではないか」
翌週、福島県から提案どおりの通知が届いた。そこで11年6月、広志らの組合が新地町と相馬市で協働作業を始めた。同年9月には、新地町と相馬市の行政主導で復興組合が立ち上げられた。
「自分の水田で作業すれば、農業をやるのと同等の収入が得られる。震災後1年目から失業対策にもなるし、やりがいもあるだろうと思った」
広志は、結果的にこの仕組みによって復興も早まったのではないかと見ている。農地の問題は、耕作していた本人がいちばん詳しい。たとえば、用水路のどこに問題があるか、自分の農地で片付けの作業をしていれば早く気づく。早く把握できれば、それだけ早く市や県に工事の要望を上げることができる。
「新地町と相馬市の農業が3年ほどでほぼ再興できた。工事業者にすべて任せるのではなく、自分たちで作業したことが理由のひとつだと思う」

太陽光発電で南相馬市の水田再興を実現する

一方、南相馬市井田川地区は、新地町と相馬市のようには事が運ばなかった。福島第一原発から20km圏内にあり、避難指示区域だったためである。避難指示が解除された16年7月には、農業者たちはすでに移住した後で、担い手が減っていた。
さらに再興が難しかった理由は、井田川地区がもともと干拓地だったことがある。明治から大正にかけて干潟を埋め立てた土地なので、津波で表土を削られたうえ地盤沈下も起きた。基盤整備のためには盛り土など大がかりな工事が必要だ。それだけ金銭的な負担も大きい。
13年、福島県がこの土地を今後どうするか地権者を集めたとき、広志はこう言った。
「ここはもう海に戻してくれ。土地を買い上げるなりなんなりして、ここで農業をやらないという選択を示してくれれば、私たちも他の土地で別のことをやると決められるから」
しかし、すでに水路工事などにお金を投じているので、福島県は農地に戻すしか選択肢がないと言う。その後、福島県は外部から事業者を募ったものの、肝心な担い手がいない。16年、避難指示が解除されると、福島県は地権者たちで相談して決めてほしいと伝えてきた。
基盤整備などの農業を再興する資金が必要だ。そこで広志が注目したのは、当時あちこちから話が舞い込んできた再生可能エネルギーの事業である。

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