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齊藤義崇の令和の乾田直播レポート

雪国で乾直技術が求められる理由

乾直の普及拡大には地域による温度差あり

北海道の乾田直播(以下、乾直)の普及に25年近く関わってきた私にしてみれば、ひと昔前よりも普及したことを実感している。しかし、全国を見渡してみると、地域の気象条件や土壌条件、水田農業の経営環境等によって、その取り組みへの熱意には温度差が見られる。まず図1を見てほしい。農林水産省による水稲直播面積の最新データは2017年度分が最新なので、地域別に5年前、10年前と比較してみた。
伝統的に取り組んでいた中国・四国地方、とりわけ瀬戸内の乾直面積は、10年間で約2/3に減少した一方で、東海・関東地方では約2倍に拡大した。さらに、北海道、東北、北陸など、冬季に降雪のある寒冷地では、この10年間で5倍または10倍以上に拡大し、乾直が水田農業の革新的技術として普及していることがわかる。本稿の第1回、第2回で取り上げたように北海道と東北では、乾直人(乾田直播に取り組む挑戦者)の熱意は半端ではない。つまり、これまで温度条件等で発芽の段階に課題を抱えていた地域でこそ、品種や機械体系、そのほかの技術の進化によりその課題克服が図られてきた証といえるだろう。
古い話になるが、実は戦前の北海道では直播栽培が主体だった。無芒品種「坊主」と「たこ足直播機」の開発により、1930年代には中心的な栽培技術になった(図2)。府県では思いの外、普及しなかったというが、その理由を次のように解釈している。北海道の春は寒い。育苗資材がない時代、苗づくりをしても霜や温度管理が不安定でなかなか上手くいかなかった。であれば、田圃に直接播種して発芽するなら、そのほうが田植えより楽で労力がかからない。田植機のない当時の苗移植の能力は1時間当たり約0.7aで、直播すると約5aになる。畑苗代移植栽培、田植機が普及する50年代までは欠かせない効率化技術体系だったのである(図3)。
戦前の大全盛期からみると、直播自体は北海道でも主流にはなっていない。だが、旧来の移植栽培や代掻きを行なう湛水直播においても、密苗技術や点播など工夫が施され、栽培体系の進歩は続いている。湛水直播にせよ乾直にせよ、一昔前より栽培面積は増え、生産技術は向上の途にある。

雪国・寒冷地で流行る理由

乾直の普及が進んでいる地域について、それぞれの傾向をまとめておきたい。
北海道は厳しい気象条件で多少の収量変動があっても、戦いを諦めない乾直人がいる。図4は洗面器に圃場の土壌を採取して、雑草診断を行なった様子である。俗に苗立ちがうまくいかないのは、イネが出芽する前に雑草がはびこることによる。北海道ではイネの播種から出芽までの期間は約30~40日。その間に有効な積算気温を確保できなければ、寒い温度でも生育が旺盛となる雑草に栄養を取られ、日陰ができ、イネは負けてしまう。出芽プロセスの解明と正攻法の雑草対策を確立したことが、乾直普及の突破口になった。
また、東日本大震災以降は、北海道産米の地位向上に伴い、道内の水田農業を革新する技術として普及してきたというのも頷けよう。

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