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【農業は先進国型産業になった!】
日本ワイン比較優位産業論 現地ルポ 第17回 金銀賞連続7回のワイナリー家族経営で手作りの味醸す 源作印(有)秩父ワイン(埼玉県小鹿野町)
- 評論家 叶芳和
- 第37回 2020年05月25日
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このように、じつは金賞に秘密はない。源作じいさんの教えを守り、ホンモノを追求し、丹精込めて醸しているだけである。原料ブドウは購入であり、シュールリー法はメルシャンが開発した技術で、山梨勝沼のワイナリーはどこでも普通に採用している技術だ(拙稿「シャトー・メルシャン論」本誌19年4月号参照)。秩父ワインの違いは、搾汁と発酵工程で、ワインメーカーの持つ思想・哲学を反映させるべく、細やかに醸しているだけである。手作りの味といえよう。醸造プロセスで違いが生じているのであって、原産地表示ワインではない(原料ブドウを山梨県から購入しているため、「秩父ワイン」と称すことはできない。ブランドは「源作印」である)。
島根ワイナリーの金賞は“栽培技術”からきているが(本誌20年4月号参照)、秩父ワインの金賞は“醸造技術”から生まれている。テロワール原理主義とも距離がある。
3 家族経営で紡ぐ5代の経営発展史――「超モダン」を感じるエチケット
■フランス神父の来訪「おお、ボルドーの味!」と称賛
源作じいさんの時代は極小規模ワイナリーであった。1936年にワイン造りに成功、40年に「秩父生葡萄酒」で売り始めたが、戦時中でもあり、さっぱり売れなかった。源作ワインが売れ始めたのは、日本経済の高度成長期始まりの頃である。
1959年(昭和34年)、フランスのカトリック神父が二人、来訪した。流暢な日本語で、「こちらでワインを造ってるそうですが、味見をさせてくれませんか」。一口含んで、「おお、これはボルドーの味!! すばらしい。これは全く加工していない。フランスの本場のワインの味です」と叫んだらしい(注:当時の日本は甘味果実酒である「赤玉ポートワイン」等が全盛の時代であった。64年の東京オリンピックを契機に、日本人消費者の好みは人工甘味ワインから本格ワインへ移った)。
このことがあってから、源作ワインは外国人の間で評判になった。そして、この話は日本人のワイン通の間にも広がっていった。冷たかった地元の人まで「外人がほめたんなら本物にちげえねえ」と源作ワインを飲み始めたようだ。
こうして副業にもならなかったワイン造りが、やっと本業に昇格したのである。しかし、源作ワインはやっと陽の目を見たのであるが、まだ甘味ワインが主流であったこともあり、大きな経営発展には至らなかった。まだ、知る人ぞ知る、という存在に過ぎなかった。その後、作家の五木寛之や、俳人の金子兜太が源作ワインのファンとして現れ、彼らの文章が流布し、源作ワインの名前が人口に膾炙していった。昭和50年代である。
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叶芳和 カノウヨシカズ
評論家
1943年、鹿児島県奄美大島生まれ。一橋大学大学院経済学研究科 博士課程修了。元・財団法人国民経済研究協会理事長。拓殖大学 国際開発学部教授、帝京平成大学現代ライフ学部教授を経て2012年から現職。主な著書は『農業・先進国型産業論』(日本経済新聞社1982年)、『赤い資本主義・中国』(東洋経済新報社1993年)、『走るアジア送れる日本』(日本評論社2003年)など。
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