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江刺の稲

大泉氏の新著を読んで思い出した

  • 『農業経営者』編集長 農業技術通信社 代表取締役社長 昆吉則
  • 第289回 2020年07月27日

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紹介が遅くなったが、大泉一貫氏が3月に日本経済新聞出版社より『フードバリューチェーンが変える農業』を上梓した。
同氏は、2030年には農業の生産性や所得が現在の2倍から3倍になっているだろうと予測する。そのカギは需要産業と農業経営体が連携協力(アライアンス)を組むことだとし、大規模、小規模を問わず、日本の農家と需要企業との間で「フードバリューチェーン」が構築されることの意義を強調している。
本誌も同感である。そしてそれは本誌が訴え続けてきたことでもある。
本誌ではそれを「目線の揃う(理念を共有する)異業種のネットワーク」だと言い、農業経営者と需要企業が理念と顧客を共有することだと言ってきた。そして、農業経営者は「お客様に試されてお天道様に裁かれる」覚悟を持てと檄を飛ばした。
「農業は食べる者のためにある」とも。顧客の存在を自覚した今の農業経営者にとってそれは当たり前のことだろう。そして、顧客の存在を自覚できる農業者こそを本誌は農業経営者であると呼んできた。しかし、本誌のその言い様に「お前はどっちの味方なんだ?」などと頓珍漢な言いがかりをつける人もいた。
被害者意識を煽られ続けてきた農家の多くにとって、農家は需要企業に搾取された存在であると思い込まされてきたのだ。「労働者・農民」などというアジテーションに洗脳されていたのは農家だけでない。農業経済学にとどまらず、農業にかかわる学者や農林行政にかかわる者の多くや農業を語るジャーナリズムも同じで、そんなイデオロギーを拡散させてきた。さらに、自民党から共産党まであらゆる政党もまた、そんな農民の被害者意識を集票に使うだけで、どの政党も基本的に“バラマキ”で喜ばせて農村票を釣ることしか考えてこなかったのだ。

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