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人生・農業リセット再出発

日本資本主義の父となった農家のせがれ

大正12年9月1日昼前、阿鼻叫喚の大地獄となった関東大震災発生。7万4,024人の死体が大火災の焦げ跡に転がり死臭を放った。東京を襲った緊急事態に国は総理大臣空席で大混乱、8日前に首相が大腸癌で死去して政府機能は停止状況だった。だが、その国家最大の危機に83歳の老人が立ち上がった。
安政の大獄・桜田門外で井伊大老が暗殺されたのが1860年。23歳の栄一は横浜居留地の異人を斬り殺す!と尊王攘夷でいきり立つ。埼玉県深谷の血洗島村で1840年に養蚕農家の長男に生まれて論語を学び成長したが、国家大乱に飛び込むには親族に迷惑をかけるので勘当してもらって、全国から志士が集まる京都に出た。各藩の諜報活動志士たちは俸給で活動していたが、文無しになった栄一は徳川分家の水戸一橋家の小遣いになって食い扶持をつなぐ。やがて幼少から絹の買付で身に着けた交渉術や会計に才能を発揮し、後に幕府最後の15代将軍になる一橋慶喜の側近にまで昇格する。生産性のない武士を養い切れないで困窮していた一橋家で栄一が考え出して任されたのは各地にある領地の活用法だった。収穫米の販売は蔵役人に一任していたのを直接管理で酒造家に高く売る。白木綿も直販、火薬原料の硝石は直営工場で大量生産販売する。企画が軌道に乗り、栄一は主君の参謀に昇格していく。信長や秀吉と異なり、家康は国家安泰のために朱子学を徹底させた“士農工商”身分区別の武家社会を構築した。厳格な身分制度があって江戸幕府は270年も続いたから農家の栄一が徳川御三家の殿に仕えて高い身分になれるなど夢物語であった。その殿が後に15代将軍になるのだから大変遷である。栄一は京都で情報収集する大役で西郷隆盛らと会った。西郷は、幕府を潰して天皇と武士の「公武合体」で国事に当たり、一橋公・薩長土肥による新国家を作ると言った。米国から帰国した勝海舟は、共和制は能力さえあれば出身や家柄には関係なく大統領にさえ就くことができると言う! 農民でも入隊資格を問わない身分解放組織を作っていた“新選組”の近藤勇、身分混在で“騎兵隊”を作った高杉晋作、栄一は多士済々との交流を持った。新しい共和制日本には大名連合を作り、議長には一橋慶喜が就任する……西郷の言葉に栄一は心が踊った。

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