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新・農業経営者ルポ

朝日は昇り、花を咲かせる

 佐賀県神埼郡吉野ヶ里町にある7haの田畑で200種類以上の野菜やコメを作る吉野ヶ里あいちゃん農園。収穫物は飲食店と個人に販売する一方、県内で運営するレストラン2店舗で料理にして振る舞う。代表の森田浩文(47)はかつて金融業界の第一線で活躍した人物。11年前にすべてを投げ打って帰郷し、なぜ農業の経営を始めたのか。 文/窪田新之助、写真/(株)吉野ヶ里あいちゃん農園
時期が悪かった。7月中旬、テレビやネットでのニュースで、九州は熊本を中心に大雨による被害が拡大している様子が伝えられていた。心配になって直前に森田に電話すると、「うちは大丈夫」という返事だったので、予定通り訪ねることにした。
農園は吉野ヶ里遺跡がある吉野ヶ里公園から背振山南麓を少し上ったところにある。今回待ち合わせたのは、そこからさらに上がっていった峠にある道の駅。佐賀平野を一望できる場所だ。ただ、2週間前から降り続く雨がこの日も降ったり止んだりする天気のせいで、眼下の佐賀平野はけぶっていて様子がはっきりしない。
休業日で人影がない道の駅の入口で森田の携帯電話にかけると、建物の向こうの陰から黒色のスーツ姿に身を包んだ大柄な男がひょっこり姿を現した。身長は180cmを超えているだろう。がっしりとした体つきとは対照的に、柔和で人懐っこそうな表情を浮かべていた。
案内された先は建物のひさしの下のベンチ。ここで取材することになった。
森田を紹介してくれたのは農業技術通信社。あいちゃん農園については2014年4月号の特集「小さな顧客と価値を共有する経営者たち」で詳しく紹介しているので、経営の中身を知りたい方はそちらをぜひ読んでもらいたい。本稿では農業を始めるに至った経緯を追っていく。

経営コンサルタントとして活躍

森田は旧東背振村、現在の吉野ヶ里町の生まれ。地元の小中学校を卒業後、神崎高校普通科を経て福岡大学法学部に入学する。
「大学時代は飲食店をはじめ、たくさんのアルバイトを経験しました。そこで商売のノウハウを身に付けましたね。この経験がその後に活きてくるんです」
大学卒業後は司法書士事務所で働きながら弁護士を目指すものの、26歳で断念。大学時代のアルバイトの経験を活かして経営コンサルタントとして独立した。よほどの才覚があるに違いない。時を置かずして会社を創業し、飲食店の経営や企業買収、不動産投資など事業を拡大していった。

29歳で生死をさまよう

とんとん拍子に事業を拡大していった。それがある日突然崩れる。29歳で脳腫瘍を患ったのだ。
前兆はあった。人と話している最中、会話の内容が飛んだり、以前からの知り合いであっても誰だかわからなくなったりすることがあった。初めは「健忘症かな」と思った。そのうちに歌手の西城秀樹が脳梗塞を患ったことが大きく報道された。病院で自分も同じ病気ではないかと相談すると、「森田さんの年齢でそれはない」とあっさり。様子を見ることになった。

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