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江刺の稲

“貧農史観”よ、さようなら

  • 『農業経営者』編集長 農業技術通信社 代表取締役社長 昆吉則
  • 第290回 2020年08月24日

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2001年の本誌新年号で「農業経営者(あなた)のアイデンティティーとは何か」という特集を組み、その巻頭に佐藤常雄氏と大泉一貫氏を招いての座談会が掲載されている。
これは、佐藤氏の『貧農史観を見直す』(佐藤常雄・大石慎三郎著/講談社現代新書)に触発されてのものだった。その特集から20年近くが経ち、我が国の農業経営者たちの姿はそこで予言したようなものになっているのだが、種苗法改正にまつわる反対派の人々(というより)それを煽る人々の言葉を聞くにつけ、いまだに貧農史観は生きているのだと思わざるを得ない。佐藤氏の前掲書を読んで、長く農業界に巣食い、人々を惑わし続け、農家あるいは農業界の被害者意識と劣等感の背景にあるのがこの“貧農史観”なのだと気づいた。
貧農史観とは何か。端的にいえば、水戸黄門など様々な時代劇に出てくる苛斂誅求(か れん ちゅう きゅう)に苦しむ貧しい農民の姿。それが歴史的に見た農民の姿であり、今もそれが続いているという思い込みである。しかし、それは必ずしも歴史的事実ではなく、むしろ明治30年代以降にあり得た姿だったのではないかというのが佐藤氏らの指摘である。水戸黄門や鞍馬天狗などの活劇や左翼歴史家たちの言葉に乗せられて人々はそれが事実だと思うようになってしまったのだ。また、それは左翼歴史家だけではなく、農民支配の手段として有効な愚民政策として今に至るまでの農業政策の中に生き続けている。

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