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【知っておきたい 世界各国の産業用ヘンプ】
オーストリア 栽培・加工、商品販売、観光までヘンプづくしの村おこし
- NPO法人バイオマス産業社会ネットワーク 理事 赤星栄志
- 第33回 2020年08月24日
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農業面では、1980年に世界で最初の有機農業に関する法律が制定され、国を挙げて熱心に推進した。家族経営の小規模農家が多く、持続可能性を重視した営農が行なわれる一方で、有機農産物のサプライチェーンが確立され、消費者の購買行動に結びついている。いまでは農地の約2割が有機農業を実践する欧州随一の国になった。
記録が残されている農業統計によると、ヘンプは1850年以降から繊維と油を採るために栽培され、ピーク時の1873年には作付面積が4万haを超えていた。平野部の広がる北東部が栽培の中心地だった。しかし、第二次世界大戦を経て、化学繊維の普及によって廃れ、1969年以降は全く栽培されていなかった。その後、93年にイギリスがEU規則を利用してヘンプ栽培を解禁すると、94年のオランダに続き、95年にオーストリアでも解禁された。当初の作付面積は200~400haで推移していたが、近年は1500ha規模に拡大し、同国でのヘンプ栽培は復活を遂げた。
音楽の都として知られる首都ウィーンから車で1時間ほど北に走ると、チェコ共和国の国境近くの村にたどり着く。ハンフタール(Hanfthal)という人口600人の小さな村だ。「ハンフ」はドイツ語でヘンプを意味する言葉で、村名はヘンプ栽培が盛んだったことにちなむ。村の中心にはシンボル的な池があった(図1)。この池はかつて、収穫したヘンプの茎から繊維を採る工程で、池に浸水しておくために使われていた。
記録が残されている農業統計によると、ヘンプは1850年以降から繊維と油を採るために栽培され、ピーク時の1873年には作付面積が4万haを超えていた。平野部の広がる北東部が栽培の中心地だった。しかし、第二次世界大戦を経て、化学繊維の普及によって廃れ、1969年以降は全く栽培されていなかった。その後、93年にイギリスがEU規則を利用してヘンプ栽培を解禁すると、94年のオランダに続き、95年にオーストリアでも解禁された。当初の作付面積は200~400haで推移していたが、近年は1500ha規模に拡大し、同国でのヘンプ栽培は復活を遂げた。
ヘンプが村に産業を生む
音楽の都として知られる首都ウィーンから車で1時間ほど北に走ると、チェコ共和国の国境近くの村にたどり着く。ハンフタール(Hanfthal)という人口600人の小さな村だ。「ハンフ」はドイツ語でヘンプを意味する言葉で、村名はヘンプ栽培が盛んだったことにちなむ。村の中心にはシンボル的な池があった(図1)。この池はかつて、収穫したヘンプの茎から繊維を採る工程で、池に浸水しておくために使われていた。
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赤星栄志 アカホシヨシユキ
NPO法人バイオマス産業社会ネットワーク
理事
1974(昭和49)年、滋賀県生まれ。日本大学農獣医学部卒。同大学院より博士(環境科学)取得。学生時代から環境・農業・NGOをキーワードに活動を始め、農業法人スタッフ、システムエンジニアを経て様々なバイオマス(生物資源)の研究開発事業に従事。現在、NPO法人ヘンプ製品普及協会理事、日本大学大学院総合科学研究所研究員など。主な著書に、『ヘンプ読本』(2006年 築地書館)、『大麻草解体新書』(2011年 明窓出版)など。 【WEBサイト:麻類作物研究センター】http://www.hemp-revo.net
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