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新・農業経営者ルポ

キロ単価1万円のイチゴはなぜ生まれたのか


25歳の時、実家に戻って農業を始めることを決意する。ただ、「貧乏にならないようお金の世界を学びたかった」ことから、1年を期限にして商品先物取引の世界に入り込んだ。そこで「無形の取引をするむなしさを知った」。おかげで農家になりたいという思いが募り、予定通り翌年に帰郷した。

トマト1パック5円のショック

「どん底」「地獄」が始まるのはここからだ。当時、地元の農家はイ草からイチゴに品目を転換していた。一方、武下家は「イチゴは腰を曲げて作業しなければいけないから大変だから」と、トマトを作り続ける。ただ、反収が上がらない。設計士だった武下が力を入れたのは設備投資だ。
「農業は作物の生理や生態を見極める必要があるのに、設備にばかり目が行ってしまい、ハウスの構造を変えることばかりに執着していました。ただ、どれもことごとく失敗。まさに青二才だったんです」
悪い流れに乗り始めていた。夏のある日。父と二人で徹夜してトマトをパックに詰め、明け方までに1500パックを作って市場に出荷した。翌朝届いたファクスの総額を見て我が目を疑った。「7500円」。1パック当たり5円である。
理由は明白。売り上げのために7月に入っても無理して収穫していたからだ。ヒートポンプで冷却でもしない限り、この時期に平場で良質なトマトが取れるはずもない。
「これはショックでした。自分が5円の価値しかないと評価された気がしたからです。一生忘れることができない出来事ですね」
自分が作っている農産物の価値をいかに上げるか――。この時の体験がイチゴでキロ単価1万円を目指す原動力になったのかもしれない。

イチゴに品目転換

当時は長男が生まればかり。稼がないといけないと焦っていた。そこで目を付けたのは高収益のイチゴ。翌年には前評判の高い「あまおう」がデビューすることが決まっていたことも期待値を上げた。父から農地の半分を譲ってもらい、イチゴとトマトではどちらが儲かるかを試した。
勝負に勝ったのはイチゴ。そこで翌年、すべての農地でイチゴを作り始める。
「これで一気に負債を返そうと思いました。でも、ここでも落とし穴が待っていましたね」
二年目に高設栽培を導入した。取り寄せたベンチを見て、またもや設計士の首がもたげてしまった。「これなら資材を集め、自分で造れる」。いきなりすべての面積を高設栽培にした。さらに独自の肥培管理を実践した。すると生理障害や病気が立て続けに発生する。収量が上がらないから、シーズンを過ぎても収穫を続ける。結果はトマトと同じだ。

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