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新・農業経営者ルポ

勤勉さと懐の深さを持った500年続く農家


「やくざの親分みたいだった」
合屋はじめ家族は典生を思い出すとき、どこかおかしそうな顔をしながら、そろってこう例える。もちろん、これは見た目と農村での中心的な役割を担ったことに言及したもので、「自分のことより、とにかく他人のため」に動いたその性格に触れたものではない。金に困っている人がいれば見境なく貸した。返さない人に催促することはなく、結局戻ってこないことはたびたびだったそうだ。合屋自身はそんな父から「人助けをしろ」と教わった。

15歳に経営移譲で養豚業へ

合屋が父から実質的に経営を任されたのは15歳のとき。この年に典生が町議会議員で忙しくなったからだ。ただ、それ以上に若い者にはすぐに道を譲り、一度任せたら後は放っておくという家風があったようである。事実、父は農業経営について合屋には一切口を出さなかった。
合屋が目を付けたのは養豚。数頭だったのを増頭していった。果たして、養豚は「とにかく儲かった」という。大卒の初任給が4万円に満たない時代に、「俺はいつもポケットには10万円とか20万円とか入れちょったからね」というほどだ。
飼養頭数を増やす中、あこがれを抱くようになったのは大規模経営。どうせならとことん大きくやりたい――。そんな気持ちが膨らみ、渡米して向こうで農業経営することを志すようになる。ある日、父にその思いを打ち明けると、「ばさらか怒られたもんね。長男である以上は後を継げと」。
代わって典生は合屋に自宅から少し離れた場所に2400坪の土地と家を買い与えた。独立して好きにしろ、というわけだ。

生き方を教えてくれた「てっちゃん」

話を聞いている限り、合屋は豪快で世話好きという点で父の気質を受け継いでいるように感じる。ただ、「人生での影響は受けていない」とあっさり。では、それが誰かと問えば、「てっちゃんだね」と即答だった。
てっちゃん――。研修中だけのわずかな出会いだったにもかかわらず、その名前を聞くと、心の底からなつかしさを覚える。
合屋より17歳上のてっちゃんの本名は「鐵助」。合屋が生まれる数カ月前、親戚から養子として入ってきた。いまでいう「知的障害者」だったようだ。合屋とは子どもの頃からいつも一緒だった。合屋が結婚するまでは寝る部屋まで同じだったというくらいだ。
筆者が2週間の研修で印象に残っているのはおやつが大好きなこと。菓子で腹いっぱいにするさまは、夕食が食べられるのか心配になるほどだった。もう一つ印象に残っているのはてっちゃんの仕事振りだった。思い出すのはオクラの畑で淡々と仕事をするその姿。脇目は振らず、体の動きには無駄がなかった。昼食の声がかかっても、最後まで畑に残っていた。合屋は言う。

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