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新・農業経営者ルポ

勤勉さと懐の深さを持った500年続く農家


「正洋(長男)にもな、汚い仕事ときれいな仕事があったら、汚い仕事をやれって。きつい仕事と楽な仕事があったら、きつい仕事をせいって、言ってある。てっちゃんからそれをなろうたんだろうが、人は見てないふりして、見てるんだぞって。うちはな、365日長靴を履いちょる。よその畑で困った人がいたら、正洋はすぐに駆けつけるもんね。てっちゃんはいつも人を助けよったからね」
てっちゃんは8年前に亡くなった。それまでの生き方を表すかのように、仕事中、田の脇で倒れたという。すぐに入院したものの、翌日に旅立った。最期は自ら下着を着替えるなど身ぎれいにしていたという。
「てっちゃんはとにかくずるいところがなかった。やることなすこと、なんでんきれいかった。人間こうでなきゃいけないって学んだっちゃね」

後進に道を早く譲る潔さ

「きれい」といえば、合屋は7年前、長男の正洋が32歳の時にさらりと経営を譲った。自分が15歳の時に父から経営権を渡されたのと同じ潔さだ。以後、合屋は父と同じように、経営には一切口出しをしてしていない。周囲では70歳や80歳になっても経営を譲らない農家は少なくない。
「それは家庭内で信頼がないんじゃないかって思うっちゃね。それだと若いもんのやる気も出ないしね。とくにこの辺りは転用の期待があるから、いつまでも農地を持ちたがるっちゃね」
転用の話は後ほどまた触れるとして、合屋家のいまの経営者の話をしよう。合屋の長男の正洋が一家で耕す農地は延べ4ha。このうち1.7haで水稲を、2.2haで野菜を作っている。
水稲の品種はすべて「元気つくし」。福岡県が育成した品種だ。正洋がこの品種に注目した特性は二つ。一つは高温耐性。県の主食品種である「ヒノヒカリ」と「夢つくし」は2000年に入ってから一等米比率が5割を切ることが常態化した。そこで県は05年に水稲高温耐性評価施設を建て、高温耐性を重点目標として開発したのが「ちくし64号」、後の「元気つくし」だった。
正洋によれば、「ヒノヒカリ」は1俵9000円ほどにしかならない。「夢つくし」は一等がなかなか出ていない状況が続いている。「元気つくし」も「暑さが厳しくて、しんどい状況になっている」というものの、他品種よりは高温耐性があるのは間違いない。
正洋がこの品種で注目したもう一つは中生であり、野菜の作業と重ならないこと。米価が低迷する中、経営の柱は合屋の時代に稲だったのが野菜に移っている。作るのはオクラや大葉、ナス、ミニトマト、タマネギ、ブロッコリー、ゴーヤなど20種類以上。

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