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【Economic eye】
コメ輸出論の思い出 40年の軌跡 アメリカ向け輸出の成功と「おにぎり」文化
- 評論家 叶芳和
- 第5回 2020年10月23日
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当時はまだ保護主義が全盛であり、「一粒たりとも入れさせない」と、農業界は騒いでいた。日本の稲作経営は零細であり、コメは価格が高く、国際競争力はないという固定観念が支配していた。そういう時代であるから、市場開放につながる「コメ輸出」説等とんでもない議論ということで、筆者への風当たりも強かった。
実際に、農業は輸出産業になったのか?1990年代中頃から、政府は農政改革の一つの柱として、農産物の輸出を言うようになった。そして、2013年6月に閣議決定された「日本再興戦略」において、安倍内閣は「2020年に農林水産物輸出1兆円を目指す」とした。2015年には輸出好調と見て目標達成を19年に前倒しした(目標未達、2019年9,121億円)。
まだ、輸出産業になったとは言えないが、国民は農産物輸出論に驚かなくなっている。時代の変化は隔世の感がある。
筆者が「農業は輸出産業になる」と言ったのは、経済理論からの演繹であった。農業はHuman capital(人的資本)が決定的に重要な産業であるから、日本は人的資本の蓄積が厚い以上、競争原理の導入が進めば、農業は強くなり輸出産業になると考えたのである。理論上の仮説であり、目の前には何の実績もなかった。
実際に、農業は輸出産業になったのか?1990年代中頃から、政府は農政改革の一つの柱として、農産物の輸出を言うようになった。そして、2013年6月に閣議決定された「日本再興戦略」において、安倍内閣は「2020年に農林水産物輸出1兆円を目指す」とした。2015年には輸出好調と見て目標達成を19年に前倒しした(目標未達、2019年9,121億円)。
まだ、輸出産業になったとは言えないが、国民は農産物輸出論に驚かなくなっている。時代の変化は隔世の感がある。
筆者が「農業は輸出産業になる」と言ったのは、経済理論からの演繹であった。農業はHuman capital(人的資本)が決定的に重要な産業であるから、日本は人的資本の蓄積が厚い以上、競争原理の導入が進めば、農業は強くなり輸出産業になると考えたのである。理論上の仮説であり、目の前には何の実績もなかった。
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叶芳和 カノウヨシカズ
評論家
1943年、鹿児島県奄美大島生まれ。一橋大学大学院経済学研究科 博士課程修了。元・財団法人国民経済研究協会理事長。拓殖大学 国際開発学部教授、帝京平成大学現代ライフ学部教授を経て2012年から現職。主な著書は『農業・先進国型産業論』(日本経済新聞社1982年)、『赤い資本主義・中国』(東洋経済新報社1993年)、『走るアジア送れる日本』(日本評論社2003年)など。
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